リパッティのグリーグPコン(2月掲載)と、コリンズ指揮シベリウス2番(6月掲載)は、
1年生で出逢い、いまだに愛聴する2枚だ。
そして、高2の秋口から聴き始め、深く惹かれるようになったのは、
ドビュッシーのピアノ曲だ。
それまでは、オーケストラが主体の曲がよいと、なんとなく思っていた。
たぶん、部活を夏で辞めた余裕もあったのだろう。
それまで聴かなかったレコードにも針を落とした。
そのなかに、ドビュッシーの3枚も含まれていた。
作曲家の名前は知っていたが、聴くのは初めて。
すぐに、自分の感性に合う、素敵な世界が開けるのを知った。
そして、ピアノ1台で、このような絢爛たる幻想や胸に沁みる抒情を
奏でることができるのだと驚いた。
その年の秋の初めから終わりにかけて、
土曜日の深夜に、無常の愉しみの時間をつくった。
まず、寝るばかりの状態に支度をする。
そして、日付が変わる0時に、蛍光灯を暗くして
オレンジの小さな灯りだけにする。
エーテルが溶け出しているような部屋のなかで、
スピーカーに向き合うように椅子に座り、
ドビュッシーの3枚のレコードを聴くのだ。
1枚目は、ギーゼキング。
A面は「映像」1・2集、B面は「ピアノのために」、「版画」である。
W・ギーゼキング 「映像」など |
おぼろ闇の中にきらめく滴が、水面にいくつもの影をつくり、
波紋が光りながら拡がる。この繊細な音たちに、いつも酔う。
ドビュッシーのピアノ曲で最高傑作のひとつ。
次の「ラモー礼賛」は、東洋的な調べと、遥かな幻視と、
ドラマティックな展開が堪らない。
ほかの3曲も愛着があるが、2集の最後を飾る「金色の魚」は、
黄金に光る魚が本当に眼の前で跳ね踊るかの如くで、
ゴージャスな夢をみさせてくれる。
この盤は比較的B面が地味であるため、しばらくすると
こちらを先に聴いて、お楽しみのA面を後回しにするようになった。
2枚目もギーゼキングで、「前奏曲集第1巻」。
豊かなイメージのドラマが繰り広げられる。
W・ギーゼキング 「前奏曲集第1巻」 |
たおやかな調べと高音の響きの調和のなかに、胸に迫る夢幻性がある。
2曲目の「帆」。
帆に映る光が、時とともに移ろうさまが感じられる。
やはり高2の秋に展覧会で観た絵の色を、いつも思い出す。
フェリックス・ジーム「ヴェネチアの帆船」 |
ちょうど同じ時期に吸収した音楽と絵画とが、イメージとして結びあった。
クロード・モネ「トルーヴィルの海岸」 |
水辺にある貴族の邸。2階のテラスに誰もいない白いテーブルあり、
そのうえに洋燈が灯もり、ほのかな香を焚く匂いが漂う。
夕焼けが残る空はゆっくり溶暗する。
5曲目「アナカプリの丘」。一転して、陽気な妖精が丘を速駆ける。
ワインを含んだ彼らは、飛んで跳ねて、最後には花火のようにはじけ散る。
6曲目「雪の上の足跡」。ポツンと残る足跡に、雪が静かに降り積もる。
けだるく、消え入るようにA面を終える。
B面の最初、「西風の見たもの」。
ほとんど暴力的な、荒々しい風が、自らの猛威の結果を眼前に視る。
荒ぶる感情が去り、次のポーンという一音が響く。
続いて、可憐で切ないメロディが流れる。
「亜麻色の髪の乙女」は、同級生がエッチングで描いた
少女の像を思い出させる。
駒井の回に登場した自作の版画を彼に提供したのに、
あの少女の絵をなぜ貰わなかったのか。
9曲目の「とだえたセレナード」は不吉な想い。
夢は現実へと変わる。
そして、クライマックス。
太古に沈んだイスの国が、霧のなかに浮かび上がる。
寺院の僧侶たちがもつ灯がおぼろにきらめく。
そしてまた、すべては静かに沈んでゆく。
「沈める寺」の一場の夢のシーンを、何度思い浮かべたことか。
二重構造の夢。輪廻をも感じさせる楽曲。
「パックの踊り」は、大袈裟なドラマを揶揄するかのような
少しシニカルでコケットな曲。
そして、「ミンストレル(吟遊詩人)」の軽やかなユーモア。
この一連のドラマは、こうして愉快な夢の思い出のうちに終える。
最終3枚目のレコードは、モラヴェッツ。
何度聴いても、あの音の響きは驚異だった。
I・モラヴェッツ「ドビュッシー リサイタル」 |
「子供の領分」の1曲目、「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」。
夢のなかに飛び回る光を追うように、
限りなく優しく、子供を可愛がる様子が浮かぶ。
この盤で初めて聴いて、そのように思ったのだが、
その後、他のピアニストのを聴けば、
みな速いテンポで練習曲風に弾く(それが正しいらしい)ので、
モラヴェッツのそれとは、まったく異なる印象の曲であった。
前奏曲集から5曲。ゆっくりしたテンポで、夢幻の世界を紡ぐ。
最後は、「月の光」。一夜のすべてを締めくくるに、ふさわしい曲。
切ないほどの情熱。夢の余韻。
・・・すべてを聴き終えると、午前3時頃になっている。
ほのかな明るさが漂う闇に、溶け出していくようなピアノの音を、
じっくりと向き合って、真剣に聴いていた。
あのように音楽を聴くことは、もうできないのだと思う。
その年の12月に自宅は越して、元々は父のものだったオーディオは
自分の部屋から無くなった。
それと共に、週末の夜の儀式のような愉しみも、無くなってしまった。
ただ、16歳の最後の数か月に、
生涯記憶のなかにとどまるであろう音とイメージを刻めたのは幸せだった。
いまだにドビュッシーは大好きだ。
素晴らしいレコードとの出会いは、亡き父の趣味のおかげ。
感謝しなければならない。
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