最初は、おそらく1979年の、どこからか貰ったカレンダーだった。
2か月に1枚のそのカレンダーには、クレーの絵が掲載されていたのだ。
そして、最初の1枚が、「セネシオ」だった。
それまでは、コローに代表されるバルビゾン派の絵、
特に「モルトフォンテーヌの追憶」のような絵が大好きだった。
実際、コローやジャン・フランソワ・ミレ―の絵も自室に貼っていた。
ところが、「セネシオ」を壁に貼ると、部屋の雰囲気が変わった。
白い壁を背景に、その絵のあたりが奇妙に明るく、
そのとき感じた感覚は、何か今までとは違う、清新で衒学的な、
なぜか来たる将来に、わくわくするような感じをもった。
パウ・クレー「セネシオ」 |
うまく表現ができないが、それまでは絵画にせよ、映画にせよ、
実在するものを、それぞれの作家の感性で描いたものに惹かれていたのだが、
もっと別のものが自分のなかに入り込んで、輝き出したような感じだった。
後から思えば、それが自分なりに、モダニズムというものを感じた
第一歩だったのだと思う。
“自分なりのモダン”とは、絵画、音楽、建築、文学などに接したとき、
それを感じることがある。
その感覚は、西欧的で、品性があり、スマートで、
リズムやユーモアやスピードや直線・曲線などのイメージを鮮烈に感じることができ、
洒落ていて、哲学的でもある。
クレーの絵が部屋に現れたのは、ちょうどドビュッシーのピアノ曲を聴き始めたころだった。
それまでは、クラシックを聴き始めたばかりだったので、
「運命」、「未完成」、「悲愴」やシベリウスなどの交響曲や
前出のリパッティのピアノ協奏曲を繰り返し聴いていた。
やはり、重厚な音楽たちとは異なる、煌めくようなもの、幻想的なものを感じた。
ちょうど、新たな感性と出会い、受けとめることができるようになった年頃だったと思う。
クレーは好きな画家のひとりとなったが、「セネシオ」との鮮烈な出会いは
影響していると思う。
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