2015年11月1日日曜日

大自然に侵される恐怖 A・ブラックウッド 「ウェンディゴ」

幻想文学を読むようになってから、アルジャーノン・ブラックウッドの著作を
何冊か読んできた。

ファンタジックな「ジンボー」や「妖精郷の囚われ人」。
神秘的・教条的な「ケンタウロス」。
オカルトと謎解き趣味が強い短編集、「ジョン・サイレンス」。
ほかに、邦訳短編集が2冊。

そのなかで、何度か読み返すのは、「ウェンディゴ」と「犬のキャンプ」だ。

いずれの作品も、人智を超えた底知れぬ大自然を舞台に、
その自然の原始的な力に感応してしまう人間、
つまり被害者でもあり、奇怪な現象そのものにもなってしまう霊媒のような、
そんな人物が話の主体となる。

「犬のキャンプ」は、怖さのなかにも読後の爽やかさと青春の切なさがあり、
好もしい作品だ。が、今回は、恐怖に徹した「ウェンディゴ」を取り上げる。

***

・・極北、辺境の地、カナダ。奥深い森林に、4人の仲間が狩猟をしに来る。
そのなかのひとり、ケベック生まれの案内人、デファーゴ。
彼は狩りや野営に詳しく、唄やホラ話もお手のもの。
ただ、「荒々しい自然に非常に鋭い感受性をもち、
未開の中の孤独を追求するのに、執念ともいえるロマンチックな情熱」をもつ。

不猟であったその年、彼らは獲物を求めて、まだ未開の西の湖へ赴くことにするが、
デファーゴは乗り気ではない。何かを恐れている。
ただ、彼は気を取り直し、2手に分かれた一方で、主導的な役割を果たす。

ところが、同伴者の依頼で、彼が唄を湖に響かせていると、
突然彼は緊張して唄をやめ、瞬間、驚くべき機敏さで立ち上がり、空気の臭いを嗅いだ。
犬がするようにせわしなく、あらゆる方向に向かって。
ついに、湖に向かって何かを“嗅ぎつける”。
彼は震え、顎の先まで真蒼になっていた。

しばらくして落ち着いたデファーゴは、彼の唄を端緒として、
ウェンディゴを呼び覚ましてしまったと語る。

ウェンディゴとは何か?
「そいつはな、光のようにす早いやつでな、森にいるどんな獣より大きいんだ。
おまけに眼にも見えないときてやがる。それだけよ。」

案内人と同伴者は、テントで眠る。ふと同伴者が物音に眼を覚ますと、
デファーゴが木の葉のように震えている。次の瞬間、凄まじい音が、
ある種の声が、天空から聞こえてきた。<デー・ファー・ゴー>

その声を聞いたデファーゴは、猛烈な勢いでテントをはねのけると、
雪の大地へと消え去った。同伴者はつれの名を大声で叫んだが、
そのとき、妙に熱狂した歓喜の声、デファーゴの声が聞こえ、去った。
「ああ、ああ、おれの足が焦げてる!ああ、ああ!こんなに高く、こんなに速く!」
まだ揺れているテントのなかは、かすかな奇妙な臭いが残っていた。

若い同伴者は、デファーゴを探すうち、雪のなかに大きな獣のような足跡と
かの案内人の足跡を見つけ、あとをつける。
そのうち、それらの足跡は飛ぶように信じられない距離に歩幅を広げ、
まもなく彼は「いったい何の足跡を追っているのかわからなくなってしまった。」

ひとつは野生の何者かに属する足跡で、ひとつは彼の同志のものであったのが、
何とも得体の知れぬ異形のものに変貌してしまったのである。

疲労と混乱の極みに、ついに恐れていたそれがやってきた。
頭上の、はるかな高みに、同伴者は、デファーゴの弱々しい泣き声を聞いたのである。
「ああ!ああ!熱い!ああ、おれの足が焦げてる!足が焦げてる!」
叫び声は、二度と聞こえなかった・・。

二昼夜の悪夢をみた同伴者は、他の2人組と再会し、恐怖の状況を共有した。
緊張による長い沈黙の末、デファーゴの相棒の案内人は突如、
夜の闇に向かって鼓膜の破れんばかりの喚き声を発し、あるリズムを作り出す。
いわく、「デファーゴを呼んでるんでさ。」

その瞬間、それに応えるかのように、
空を覆いつくす何ものかが、おぞましい速度で暗い上空を走り抜けた。
同時に、かすかな人間の叫び声も聞こえる。
そして、木立のなかを、デファーゴが落ちてきた!

デファーゴは、よろめく足取りで一同に近づいてきた。
「帰ってきましたぜ。誰かに呼ばれたのでね。」干からびた、振り絞るような声。
彼の顔は動物のようで、妙なプロポーションで、あの臭いがまとわりついていた。
そして、彼の相棒が叫ぶ。「あいつの足を見ろ!あんなに変わっちまってる!」

人間ではなく、妖魔そのもののデファーゴが、喘ぎ声を出す。
「あんたも見たんだな。俺の焦げた足を見たんだな!
でなけりゃあ、おれを助けることができたのに・・」

突如、湖から風の唸り声が、彼らを包囲し、デファーゴは
誰もが留める間もなく消え去っていた。
天空から彼の叫び声が、地上の三人の耳に届いた。

夜明けとともに、三人は黙々と帰途に着く。
日暮れにテントにたどり着いた彼らは、
焚き火の跡に、灰の中を動き回るデファーゴを再び見出したのである。

今度は、彼はほんもののデファーゴであった。
ただ、虚脱状態で、火を起こすこともおぼつかず、
背丈は信じられぬほど縮んでいた。

彼は正気に戻ることなく、数週間後に死んでいった。
彼の仲間たちは、いやおうなく事情を理解していた。
デファーゴが、ウェンディゴを見たのだということを・・。

***

この物語は、大自然に侵される怖ろしさが強烈に伝わってくるが、
何よりも筋立てとして興味を引かれるのは、
拉致されたデファーゴが二度も、戻ってくることである。

一度目は、獣へと化身した姿で、そして再び戻ってきたときには、
獣から脱することはできたが、それで精根尽きてしまった姿で。

“ウィンディゴ”とは、アメリカ北端の原住民に伝わる精霊の呼び名だが、
“ウィンディゴ症候群”という症例もあるという。つまり、
「このままでは自分がウィンディゴに変化してしまう」という強い恐怖心を伴い、
病が進行すると、食物を拒絶し、生活する能力を喪失してしまう。

英国人のブラックウッドは、若いころに世界を旅したという。
アメリカの北部で、この恐るべき伝承を聞き、
彼は大いに触発されて、この傑作を書いたのだと思った。

「ウェンディゴ」所収の「ブラックウッド傑作選」

パルプマガジン(1944年6月)の「ウェンディゴ」挿絵


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