2015年3月29日日曜日

心動かされるものの原点 (幼き日を過ごした団地)

産まれてから数年間を、団地で過ごした。
緑の豊かな大きな団地だ。

建物の間には芝生があり、また公園や屋外舞台もあり、
すべてが子供たちの遊び場だった。
集会場はマツ林が覆い、昼なお暗い。
ここで母親たちの催す人形劇があり、母の出番を見守った。

懐かしく思い出すのは、夜の光景だ。
或る日、夜もふけて、駅から団地まで両親とバスで帰った。
停留所で降りて、明るい街路灯のなか、両親に手をつながれながら家まで歩く。
道路に人通りはなく静か。ただ、各戸からかすかに聞こえる生活のざわめきが
夜の空間に満ちている。

幼いころに何を体験したかは大切だ。
心を動かされるものの原点がここにある。

モダンな建物。豊かな緑。
夜はエーテルが空間に満ち、静かな幻想が息づく。

・ ・ ・

子供のころ、親からもらったその団地の絵葉書を大切にしていた。
絵葉書は、こう説明している。

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光る敷条の道路を擁した、かすり模様の大団地。
ふかんする者の眼を奪う壮観さである。
遠く、緑濃い関東平野が見え、手前には
分譲宅地に建てられた多彩な屋根の群落が見えている。
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造成された団地(絵葉書)


数年前の夏の終わり、出張のついでにこの団地を訪ねた。
勤め人が帰宅するには早い時間で、
夕日のなか、眠ったような街だった。
住んでいた3階の家の前まで行った。かなり古びていた。
芝は濃く、木々がたくさん立っているのは変わらない。
ただ、集会場のマツ林は既にきれいになくなり、
昔の印象はなかった。


南面にある芝生

緑豊かな団地

ひとが、いまわのきわに思い出すのは、幼いころの家庭の風景である。

2015年3月21日土曜日

幻想文学への情熱 「ペガーナの神々」

今から15年ほど前、世紀が移り変わる数年間は、幻想小説を最もよく読んだと思う。
海外の翻訳ものが主体である。

そして、海外の幻想小説といえば、練達な案内役として、かつ翻訳者として、
荒俣宏は特別な存在である。
労多くして報われることの少ないこの稼業に、情熱をもって邁進してくれた。
彼のつけた、いくつもの軌跡をたどっていくことができた。

ちょうど横浜に単身赴任をしていたころ、
「ペガーナの神々」(ロード・ダンセイニ著、荒俣宏訳)の文庫版をよく読んだ。
定宿がある東神奈川から新横浜までの3駅の間、何度目かを読んでいて
乗り過ごしてしまったことがある。神話の世界にぐっと入り込んでしまった。
酔って乗り過ごしたことは数回あるが、素面で乗り過ごしたのは、ただ1回である。

ペガーナの神々のひとつひとつのエピソードは、
読む時期によっては、荒唐無稽に思えたかもしれない。
それをすんなり受け入れ、その世界に遊べたのも
ちょうど新たな希望に燃えて充実していたときだったからだと、今にして想う。

新たな職場で、新たな場所で、面白い仲間と、大きなビジネスを興そうとしていた。
だからこそ、創作、創造された夢のような世界が、
かえって身近に感じられたのだ。
満員電車に乗っていても、ページを開けば、心はすぐに、ペガーナへ飛翔した。


神々の逸話のなかで、ひとつだけ挙げる。
ヨハルネト・ラハイ。小さな夢とまぼろしの神である。

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夜ごとかれは、人々を愉しませるために、小さな夢たちを送りだす。
貧民にも王侯にも。忙しさにとりまぎれて、ときおり誰が貧民で
誰が王侯だか忘れることがある。

ヨハルネト・ラハイから夢をつかわされなかった者は、
ひと晩じゅう、神のきびしい嘲笑に耐えながら眠らねばならない。

ヨハルネト・ラハイの夢が偽りで、陽の下でなされた事どもが真実なのか、
あるいは逆に、陽の下でなされた事どもが偽りで、
ヨハルネト・ラハイの夢がほんとうは真実であるかどうかは、
マアナ・ユウド・スウシャイをのぞいてだれも知らない。
そしてマアナは、人間のことばをけっして語らない。

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単身赴任を終えてから、創土社の単行本と
1911年刊の原書を手に入れた。
原書のシドニー・ハーバート・シームの挿絵が、すばらしい。

THE DREAM OF MANA-YOOD-SUSHAI

SLID


荒俣宏は、いまはもう、幻想文学の世界にいない。

「・・幻想文学は飽きあきするほど読んだ。
今ではぬかみそ女房のごとくすこしわずらわしい存在になってもいる。
好きとか嫌いとかいう基準で読める時代は終わったのである。
すでに、幻想文学界の慈善事業家であろうとする気がなくなったから、
このジャンルが滅びても悲しみはしない。すべてが止まった。・・・」

荒俣宏のこの文章を、少し哀しい気持ちで読んだ。
僕も年月を経るにしたがい、興味が多用化し、
また、幻想小説を読んで心躍る経験がかなり減ってきている。

ただ、幻想文学のもつ魅力に、いまだ希望はもっている。

"IT"

THE SHIP OF YOHARNETH-LAHAI

2015年3月15日日曜日

さわやかで、温かな歌声(Julie Andrews)

中学2年のとき、テレビで「サウンドオブミュージック」を観た。
ジュリー・アンドリュースがいっぺんに好きになった。
容姿もだが、あの歌声が堪らなかった。

さわやかで、温か。高い音でも柔らかく、よく通る。
包み込むような優しさや、コケットにはずした感じもよい。

当時はビデオもインターネットもない。
レコードを買うでもなく、映画雑誌「スクリーン」に載る写真で
お茶を濁していた。

幸い、次の年に彼女が来日した。
「スター千一夜」を録音(41歳で孫がいることに驚く)、
そして、ラジオの特集番組を2つ録音した。

矢島正明がナレーターを務めた録音もよく聴いたが、
もう一方、NHK-FMの番組は解説を最低限にして
全部で16曲をかけてくれた。

このテープ録音を何度聴いたことか。

そして、前半と後半の各8曲が、ひとつの物語かショーのように
流れをつくっているかのごとく思えてきた。

◆録音した曲名ラインナップ

It Might As Well Be Spring 春のごとく
So In Love
Wouldn't It Be Loverly? 素敵じゃない?
Baubles, Bangles and Beads ビーズと腕輪
Without You あなたなしでも
How Are Things in Glocca Morra? グロッカ・モラの様子はいかが?
A Sleepin' Bee
I Feel Pretty

Cheek to Cheek
Falling In Love With Love 恋に恋して
I Could Have Danced All Night 踊り明かそう
How Long Has This Been Going On?
I Didnt Know What Time It Was
By The Light Of The Silvery Moon
Alexander's Ragtime Band

当時は決まって、ベッドに寝転がって、イヤホンで聴いた。

冒頭の「春のごとく」。何かが始まるようなイントロに、気持ちが高ぶる。
春の気分を思い切り満喫したあと、一転、「So In Love」でキリリと締まる。
日曜洋画劇場の最後に流れていたこの曲は、それまで陰鬱な印象が強かったが、
彼女が歌うと、悲劇的ななかにも透徹した美しさがあって、とても好きだった。

3曲目の「素敵じゃない?」でリラックスし、続く「ビーズと腕輪」。
夢に誘うようなイントロと共に、宙に舞うような歌声が聴ける。
5曲目は、また一転。「あなたなしでも」は、イライザのやけくそな歌。
ただ、ジュリーが歌うと、力強さとともに彼女の上品さも感じられて
勇気づけられる歌になるから不思議だ。

フルートのイントロで始まる「Glocca Morra」。
さわやかな抒情。心が洗われるような曲だ。
次の「Sleepin' Bee」は、少しけだるい明るさで、
過ぎし日を想う哀しみが感じられる。
そして、「I Feel Pretty」で、素敵に元気に力強く、前半を終える。

後半の初めの2曲は、一番の山場だ。

「Cheek to Cheek」は、このなかのベストだ。
この曲のイントロが聴こえると、なぜか懐かしい気持ちで一杯になる。
そして、ジュリーの甘く優しい歌声とともに、夢の世界へ入っていく。
高音部で音をはずしてしまったりするが、まったく問題なし。
2分足らずの曲だが、最後まで夢見心地で、緩やかに低音へ移って終わる。

次の「恋に恋して」。
「モルダウ」の冒頭のような、川の流れをイメージさせる印象的なイントロ。
徐々に盛り上がり、ハッと落ちたかと思うと、
思いつめたような、それでも真っ直ぐな歌声が聴こえてくる。
技術的に、余分な飾りはない。
抑えて始まるが、徐々に高揚し、思いのたけを清らかに歌い上げる。
この曲のジュリーは、真正面から直接、聴く者の心に届くように
切実な気持ちを込めて歌っている。

オンエア時、番組の時間調整のためか、この曲は中間奏まででカットされた。
録音を聴くたびに残念に思うとともに、
どんな終わり方をするんだろう、と色々と想像した。
1分半あまりの短い録音だったが、深く心に残った。

後半3曲目は「踊り明かそう」。大曲で、山場の最後にふさわしい。
次の2曲は、クライマックスが過ぎたあとの
どこかもの哀しい気持ちで聴いていた。

そのあとの曲名、曲順ははっきりと覚えていない。
ただ、にぎやかな残り2曲は、あまり身を入れて聴かなかった。
やはり、ジュリーのきれいな歌声が活きる曲が好きだ。



録音したテープは大切に扱ったが、最後は擦り切れて大学時代に聴けなくなった。
以来、半世紀ほどは、心のなかだけにフレーズが残ったが、
あるときCDを4枚買って、久々の歌声を懐かしく聴いた。
そして初めて、「恋に恋して」をすべて、聴くことができた。
とても満足した。





2015年3月7日土曜日

見なれざるひとの胸に消えんかと思う 「木葉童子詩経」

甲府に、しびれ湖、四尾連湖という山上湖がある。
昭和4年の春、若者がひとり、湖畔に掘立小屋を立て
独居自炊の生活を始めた。

野沢一。商家の長男で大学3年、25歳。
それが家を継ぐでもなく山に入り、
豊かな自然に親しみ、本を読み、詩をつくった。
父親の寛大な理解を得、小遣いをもらい
山を下りるまでの4年間、モラトリアム生活を果たす。

自らを木葉童子(こっぱどうじ)と称し、
自然のなかで幼児に帰ろうとしていた。

「ほうれん草」という詩が好きだ。
その詩に描かれているのは、木葉童子の冬の日の回想である。

童子は、のこぎりと手斧で薪をつくり、
それを背負って森をとおり、淋しい藁屋の戸をあける。
中はまっくら。ねずみがいたずらをしていたり、
誰か持ってきた手紙がほんのり白く見えることもある。
風があれば、天井の葦草が音を立てる。

  私はそこで炉の前にあぐらをかいて
  やがて松の芯で
  火をたきつける
  その火のもえ初めときの
  たのしさこそは喜びなるかな

腹がすいた彼は、鍋に湯を沸かす。
焔は鍋のしりから丸く別れて、赤くやわらかく
鍋蔓の上まで這い上がる。
その焔の色としびれに吹く風のふたつだけは、
自分のものであったのだと彼は思う。

  そのうちに湯がにえこぼれる
  チチチ、ザーと小さいはいかぐらがいくつも立つ
  そこでふたをとって
  青々としたほうれん草を入れる
  赤い火に照らされて
  ほうれん草はほんとうに
  綺麗に見えましたるなり

  やがてその盛り上がりが平たくなる
  よい時分だと思って、それを
  竹ばしですくい上げて
  ねずみのくつた破れたざるに入れる
  その後には湯が白い泡をたてて
  巻きかえり、にえ上がり
  気持ち良い湯気は
  炉の火のちらつく屋根裏にまで
  引きなびいて
  この小屋を遠い日の幼児の春にしてくれる

童子は鍋を下ろし、ほだをよいあんばいにする。
火は喜ぶようにたのしく燃えてくれる。

  可愛いいものは火なるかな
  まるで吾が子のように思われてならぬ

彼は、ほうれん草をしぼり、釜ごとのごはんで
ささやかな晩さんをとる。山小屋でひとりの晩ごはん。
四月にはわらびの葉、六月には蕗の茎、
秋にはきのこを食べたそうな。

  こうしてこのいろりばたに
  日が六年たつて行った
  湖の水をのんで
  風をひきよせながら
  寒々と私はやっと
  秋のなつかしさを拾い集める

これを書いた作者は、すでに山を下りていて、
山に在りし日をなつかしく思い出している。
商家の父を手伝いとはいっても実業にはなじめず、
図書館通いをしながら、自然に抱かれた日を想い返す。

「夕暮に」の一節。

夕暮の中にある
  夕暮を明るくする「力」と
  夕暮を暗くする「力」と
  なつかしい しばし落ち行く
  露の不思議に
  このいちののしばしを触れしめよ

そして、秋の夕べに彼は、
見えざるも、大きなあたたかい存在を感じる。

  おんみを見る

  秋は山にみちたり
  日向ぼくりして
  古き秋を思えば
  心は還らず
  草は流れて
  くれないの陽の窓辺の
  黄菊に
  人は目もあたたく
  あたたかき
  かの 青空を仰ぐなり

そして、いつしか、その見なれざる存在に抱かれ、
童子は静かなあたたかな世界へ往ってしまうのだ。
小川未明の「金の輪」のように。

  許容

  還り行く日の来ん時は
  ものみなに許しを乞うて
  草木の影をふまず
  風をかぞえず
  好める火と水をなつかしみつつ
  虫を思い
  やがて
  静かなる雲に入り
  見なれざるひとの胸に消えんかと思う

41歳で病死する最期まで、彼は童子だったのだろう。

「木葉童子詩経」(文治堂書店)
僕に「木葉童子詩経」の存在を教えてくれたのは、
高田宏著「自然誌」(副題「ネイチャーライティング」)だ。
この本のおかげで、ほかにも数冊の出会いや再会ができた。

今回は、この「自然誌」と「木葉童子詩経」のあと書きの
一瀬稔氏の文に多くを追った。

「自然誌」(徳間書店)