2015年2月28日土曜日

夢の甘さと孤独の辛さ 「夢の丘」

アーサー・マッケン。
「パンの大神」は中学で読んでいたが、
当時は、その底に渦巻くような恐怖を読み取ることができず、
そこはかとないおぞましさを感じるにとどまった。

それから20年。
幻想文学を本格的に読むようになってまもなく、
「怪奇クラブ(3人の詐欺師)」を読み、わかりやすい恐怖を愉しんだ。

「夢の丘」は、次いで読んだ。

まだ、ネット古書店の使い始めだった。
本が外から届くことも珍しく、袋を開け表紙絵を見て、
胸が高鳴ったことを覚えている。

じっくり読んだ。そして、期待どおりだった。

「夢の丘」(創元推理文庫)


前半の舞台は、イギリスの田舎。
古代ローマの栄光ははるか昔に消え、砦跡と豊かな自然が残るばかり。
森には牧神が現れ、気持ちのよいうたた寝から我に帰ると
いつの間にか、ヒリヒリとした傷が身内についている。

ルシアン・テーラーは、12歳から青年になるまで
その辺境の地で、孤独で夢見がちな生活を送る。
牧師の父は堅物で貧乏だがルシアンに親身で、
風変わりな一家と世間から冷笑される彼にとっては
数少ない慰めとなる。
ただ、父の気の良さと単純さは、かえって物悲しい。

ルシアンは、文筆で一旗揚げようと、
灰色で喧噪の都会、ロンドンへ出る。
孤独な生活は相変わらずで、父は亡く故郷も失い、
大量の原稿用紙と格闘して心身をすり減らす。

いつしか麻薬に手を出し、徐々に夢うつつの世界に入る。
そこでは、今までの甘くつらい出来事が断章のように浮かんでは消え、
清純な田舎娘へのあこがれと妖艶な魔女への欲望が渾然となって、
最期はたたみかけるようにサバトの宴へなだれ込み、
彼は身も心も果て、黒い煙となって立ち昇り逝く。

「THE HILL OF DREAMS」(LONDON:MARTIN SECKER)


マッケンは、自伝的に青春時代を書いた。
その夢の甘さと、孤独の辛さと、挫折の哀しさは、
それを親身に読む者の共感を得る。

翻訳者は、平井呈一。
泥臭い訳文に、よい意味で雰囲気が出ている。

平井呈一、紀田順一郎、荒俣宏と連なる3人に、
いままでどれほど、怪奇幻想の世界を愉しませてもらったか。

古書店で、平井呈一全訳のマッケン全集も買ったときも、胸が躍った。

「アーサー・マッケン作品集成」(沖積社)


2015年2月22日日曜日

壮烈なイマジネーション(ウィリアム・ブレイク)

高校1年のとき、借りものの画集を見ていて、
おかしな絵があると思った。

こってりした色彩。
若者ばかりか老人までもが筋骨隆々で、表情は大袈裟。
思い出せば、たしか「ネブカドネザル」と、
「アダムとイブが見つけたアベルの亡骸」だったと思う。

当時は、「モルトフォンテーヌの思い出」など、
バルビゾン派の風景画が好きだったので、
こんな絵のどこがいいのかという思いだった。

ところが、印象が強烈だったせいで、
そのとき覚えたウィリアム・ブレイクの絵を
その後もたびたび観る機会を得た。
そして、その壮烈なイマジネーションに惹かれていった。


「ヨーロッパ;日の老いたる者」


本のデザイナーとしても面白い。
レタリングと版画による挿絵を組み合わせて
自在に力強く、ページを造り上げている。

ブレイクの絵が好きな理由は、その独特の緊張感だ。
静謐な天使の絵であっても、その両の羽は祈りの手に見え、
キリストを見守り、斜めに宙にとどまる姿は三位一体となり、
中央から光を放つ三角形には、張り詰めたものを感じる。

「天使たちに守られる墓の中のキリスト」


あまり読みもしないのに、ブレイクの本がたまっている。
初期の詩だけでなく、生涯にわたる作品を
それぞれの時代背景とともに読み解きたい。





2015年2月14日土曜日

夢幻に天駆ける(グリーグ ピアノ協奏曲)

ピアノ協奏曲といえば、ラフマニノフの3番が特に好きだ。
チャイコフスキーもわくわくするし、最近ではリストの2番も華麗でいい。

ただ、最も好きで、よく聴きこんだのは、グリーグ。
そして、グリーグのピアノ協奏曲といえば、リパッティ。
本当に、胸が高鳴る演奏だ。

高校1年のとき、自宅にあったレコードを聴いて、完全にはまった。
ベッドに寝転び、足元にあるスピーカーのすぐ前に耳を寄せて、
毎日のように聴いた。

グリーグ ピアノ協奏曲のレコード

地の底から湧きあがり、天を一刀のもと両断するような冒頭。
荘重に始まり、その後一転して柔らかな夢幻の曲調に転じる第1楽章は、
冒頭のメロディに戻り、魂を揺るがして終わる。

第2楽章は、静かに震えるように始まり、
ピアノが軽やかに夢のなかを巡り、徐々にオーケストラと盛り上がる。
そして、楽章冒頭のメロディが力強く奏でられ、
また夢のなかへ戻っていく。

急転直下、現実に引き戻されるかのように、
第3楽章は、速く力強いテンポを告げる。
うねるように、急峻の山から凍てついた原野を疾駆して荒々しいが、
ただ、どことなくユーモアも感じさせる。

いったん早駆けを収め、遥かな白い下界を見渡せる峰に立つ。
清浄で張り詰めた空気のなか、フルートが無限のかなたへ
生命の素晴らしさを歌い放つ。
それを受けて、ピアノが芳醇そのものに奏で、ゆったりと天を飛翔する。
真に感動的だ。

忽然と地に降り立ち、再び早駆けが始まる。山や谷を切り通る。
目指す理想の地は近い。曲調はダイナミック。否応なく高鳴る。
そして、終着点が見えた。ファンファーレが鳴る。
明るくコケットな祭気分に包まれたかと思えば、もうそこは目指していた世界。
雄大な景色とともに、再び生命の讃歌が劇的に鳴り響き、天へ飛翔し去る。

・ ・ ・

ピアノ演奏者は、ディヌ・リパッティ。
天才で、若くして病で亡くなったと、親に教えてもらった。
図書館でレコード評も読み、リリシズム、気品のある演奏とは
まさにこういうことかと納得した。

リパッティのCD

高校2年のとき、「レコード芸術」の夭折の音楽家特集で
見開きの2ページのリパッティの記事がでていた。
学校の図書館の司書の方から、保存期限の切れたその雑誌をひそかに譲り受け、
長らくそれが、リパッティを知る最も詳しい記事であった。

7年前、日本語で書かれたリパッティの評伝を見つけた。
2007年刊。生誕90周年とのことだが、死後半世紀以上経つ演奏家の評伝が
日本人の著作として世に出ることが、にわかに信じられない快挙と感じた。

リパッティの評伝






2015年2月8日日曜日

モダンとはなにか? 「建築を愛しなさい」

“モダン”という語に惹かれる。
モダンな感覚、感性。モダンな音楽。モダンな絵画・・。
それは、上品で洒落たイメージ。文明と進歩を素直に信じる力強さを想う。

ジオ・ポンティ著「建築を愛しなさい」は、そんなモダンな感覚が一杯に感じられ、
そして、僕の好きな建築について書かれた本だ。

ジオ・ポンティ著 「建築を愛しなさい」

表紙をめくると、次の言葉に嬉しくなる。

“この本は建築家のための本ではなく
  古今の建築に魅せられた人びとのための本です”

内容は、哲学であったり、思想そのものであったり、箴言であったり、随想であったり。
建築の形や素材や機能などを語るが、技術的なことには触れず、わかりやすい。
断定はするが、もの言いは柔らかい。

この本を通して読んだことはない。ただ、よく手に取り、ぱらぱらめくる。
どこを読んでも、モダンな香りがする文章。
そして、建築に対する愛情が溢れている。

僕は、建築に惹かれる。
それは、大学の演劇サークルで、“装置”(大道具)のスタッフだったことが理由のひとつだ。
舞台美術は、材質や照明にこだわり、独特の空間を創る。鉄パイプで構造体も組む。
役者のいる空間、空気感や雰囲気を形造ることから派生して、建築に興味をもった。
30代までは、建築に関する本や写真集をたまに買っていた。

そして、“モダン”な近代建築は、鉄骨、コンクリートで組まれる。
それらに、冷たさではなく親近感がもてるのは、
僕が産まれてすぐに住んだ家が大きな団地だったことが理由だと思う。
そこに、ふと懐かしい感覚が同居する。



「建築を愛しなさい」の著者、ジオ・ポンティ。
ベテランの建築家やデザイナーならともかく、一般には話題にものぼらないと思っていた。
そうしたら昨年、「ジオ・ポンティの世界」展が、近隣の地方都市で開催されたではないか!

休日でも、ほかに1人しか客がいない、その小さな展示会を満喫した。
パンフレットには、「イタリア モダンデザインの父」とあった。



2015年2月1日日曜日

幸せないまを惜しむ 「海底二万海里」

ある本を夢中で読んだことが、かつて何度かあった。
そのなかで、懐かしい記憶として挙げたいのは、
ジュール・ベルヌ著「海底二万海里」を読んだことだ。

「海底二万海里」(福音館書店)


中学1年の晩秋、毎晩11時から眠るまでの1時間、
寝床で読んでいた。部屋を暗くして、学習机の明かりで読む。
小説の世界に、本当に没入した。

ネモ。「だれでもない」というラテン語。
情熱的で冷静、冷酷な、孤高の艦長。
主役として、真に魅力的だ。

そして、海で繰り広げられる、数々の名場面。
生物の分類に、属、科、目などの言葉が飛び交う、衒学的な雰囲気。
そして、すばらしいエッチングの挿絵。

この本を読みながら、幸せな気分を感じていた。
いつまでもこの本を読んでいたい、終わらないでほしいと思った。
本を読んでいるときにそう思うことが、あとにも何度かあったが、
その最初の経験だった。

今でもこの本を見ると、あのころの記憶が鮮明によみがえる。

毎日が楽しかった。
ときが止まってほしい、と日記に書いた。
時間が早く過ぎるのを最初に感じたのも、あの12歳のときだった。

ネモ艦長

海底の墓地