2015年5月31日日曜日

心を発色させたものとの再会(ブラッドベリとベレンソン)

学生時代に読めなかった余波で、社会人1年目に
レイ・ブラッドベリの文庫本をまとめて10冊ほど買った。
(当時勤めていた法令出版社から取次店に頼むと、
市販本が1~2割安く買えたのだ。)

「10月はたそがれの国」や「太陽の黄金の林檎」などの短編集をよく読んだ。
それらについては、また触れる機会をもちたい。

それから10年近く。家庭をもち、仕事環境も変わり、忙しくしているさなか。
ふと振り返れば、数年間はビジネス関連本しか読んでいないことに気づき、
その反省から、新聞の書評を頼りに、興味の趣くまま小説などを買い始めた。

ちょうどその頃、ブラッドベリのエッセーが2冊出て、勢いで買った。
気軽に読み進められる内容が大部分だが、
そのなかに、心惹かれて何度も読むことになる一編があった。

「ルネサンスの王子とバプティストの火星人」。
雑誌に寄稿している、まだ著名でもない33歳のSF・幻想作家が、
88歳のルネサンス絵画史の巨匠から手紙を受け取るところから始まる。

“88年の生涯で、はじめてファンレターを書きます。・・
つまり、創造としての仕事をするなら、身をもっておもしろがるというか、
胸躍る冒険にするということですね。・・”(小川高義 訳)

バーナード・ベレンソンという美術史家を、この短編で知った。
彼は、雑誌「ネーション」に掲載されたブラッドベリの一文、
サイエンス・フィクションに取り組む楽しさと意気込みを語った
「あしたの次の日」を読んで、見も知らぬ作家へエールを送ったのだ。

ベレンソンがいるイタリアへの渡航費もないブラッドベリは、
それでも数か月後に、映画「白鯨」の脚本を書くため、
アイルランド行きのチャンスを得る。
そして、翌年の春、ベレンソンに会いに行く。

それから5年あまりの、かれら創造者どうしの、
父と子のような交流は、胸に迫るものがある。
ブラッドベリのウェットな文章は、うまくリズミカルに訳されている。
繰り返し読んでも飽きない。

内容に、ある程度の脚色はあるかもしれない。
ただ、ベレンソンがブラッドベリに手紙を送ったのは事実だと思うし、
彼の才能を見抜く目に驚嘆する。
そして、ブラッドベリの心情よりも、ベレンソンの若い才能に対する
愛情と寂しさの方が、深く胸に刺さる。



今から5年前に、古書店でベレンソンの自叙伝を見つけ、
それを端緒に、代表作「ルネッサンスのイタリア画家」も購入した。
ベレンソンを知るにつけ、
新たな思いでブラッドベリのエッセーも読み返した。

過去に心を発色させたものは、いつかどこかで再会できる。
そして、そこでまた、新たな発見と感動を得ることができる。













2015年5月24日日曜日

好きな作品を手元に(二見彰一)

二年前の師走に、「八木重吉全詩集」(ちくま文庫;全2巻)を買った。
そして、それらの本の表紙絵に惹きつけられた。

暗い空間に、格子模様の床がみえ、
そこに青白いホルンが、文字どおり浮かんでいる。
手前には、緑がかった透明なグラスと球体があり、
背景の闇には、手前の球体が空に昇ったような、
薄緑の月が浮いている。

そこにあるものはみな、闇のなかで燐光を放っている。
静かで幻想的な景色。それでいて、手前のグラスは、
その景色を観ている人物を暗示している。
いや、その人物は、絵を観ている自分であるかもしれない。

「デニスの部屋」

画家は、二見彰一。技法にアクアチントを使用していることを知った。
さっそく画集を探し、1987年刊のソフトカバー本を古書店で購入した。
およそ100ページの図録のうち、カラーページは6分の1程度だが、
それでもカラーの絵からは、それぞれの作品の魅力が伝わってくる。

画集から;「花のグリサンド(1)」と「浮かぶ花(1)」
「青のトリオ」

どの絵にも共通しているのは、孤独な詩情と思索的な深み。
そのうえで、あるものはリズムが、あるものは軽いユーモアが感じられる。
童心に帰るような絵もあれば、モダンでしゃれた感覚の絵もある。

画集を眺めているうちに、自分の誕生月に、
これらの作品のうち1枚を手に入れたい、と思った。

それまで、書斎には2枚の版画を飾っていた。
エッチングに手彩色の風景画と、メゾチントの女性像。
同じ版画でも、今回はまた、風合いが異なる。

まったく幸運なことに、二見彰一展がちょうど開催されていた。
地元ではないが、休日に行けない距離ではない。
ドライブがてら高速を走り、近くで開かれていたシャガール展と併せて観た。

初期から最近の作品までが多く展示され、どれも素敵だった。
日曜日で人出もあり、会場では突然のハープ演奏も行われた。
そして、画家ご本人も来場していたのには驚いた。

帰宅後、選んでおいた絵を思いきって購入した。
そして、銀色の細身の木枠に、白いマットを二段にした額装を施した。

そのときに買える作品のなかで、最も欲しい絵だったが、
そればかりでなく、二見作品のなかでも最も好きな絵が買えた。
本当に幸運だった。
「青い夜」




2015年5月17日日曜日

生涯ベストワンの映画 「赤い靴」(5)

「赤い靴」を観るたびに、この映画の製作者が
自信と確信をもって、愉しみながら映画をつくっていたのだと感じる。
そして、もしこの現場に居合わせることができたら
生涯の宝になるほどの経験であったろう、と思う。

この夢のような映画では、ろうそくや燭台が印象的に使われている。
映画の開始と終了は、焔をあげるろうそくであるし、
ヴィッキーとボリスのパーティーでの出会いのシーン、
そして、ジュリアンの深夜の作曲にヴィッキーが寄り添うシーンに、
燭台が配置されている。
 


また、映像美も心に残る。バレエシーンは言うに及ばないが、
何気ないシーン、たとえば、グリシャの誕生パーティのシーンや
ボリスと再会する駅のシーンなど、色彩が豊かで美しい。


では、「赤い靴」の登場人物と役者たちを紹介しながら、この書きものの締めくくりとしよう。

冒頭のジュリアンの友人たち。
太っちょのアイク。いい味を出している。ジュリアンを好いているテリー。
TERRY:JEAN SHORT,IKE:GORDON LITTMANN
バレエ狂のザンティップとボーイフレンドのガス。
のっけから、ジュリアンたちと険悪なムード。
XANTIPPE(A BALLETOMANE):JUKIA LANG,GUS(HER MATE):BILL SHINE
ボロンスカヤのパートナーは、控え目な老紳士。
ほとんど科白はないし、エンドタイトルにも出ていない。
上流階級に身を投じたボロンスカヤとのカップルは、
若い才能どうし、将来に不安もあるヴィッキー・ジュリアンの組とは好対照だ。

マダムランバートは、そのままの役名で少しだけ登場。著名なダンサーで教育者。
ボリスがヴィッキーに目を留めた「白鳥の湖」のシーンで。
MADAME RAMBERT
ヴィッキーの友人、オールダム卿。貴族でビジネスもこなせる雰囲気。
ただ、出番は少ない。
LOAD OLDHAM:DEREK ELPHINSTONE

コヴェント・ガーデン劇場の守衛、ジョージ。損得勘定のおっさんをうまく演じている。
STAGE-DOOR KEEPER:JERRY VERNO
ボリスの忠実な僕、ディミトリ。出しゃばらないが、登場頻度は高い。
ヴィッキーの再訪を知らせる場面では、珍しくノックもせずにボリスの部屋に入り、
気持ちが高ぶらせたアップの場面がある。
DIMIORI:ERIC BERRY
モンテカルロの劇場支配人のブータンと舞台監督のリドゥ。彼らも芸術に忠実で善人だ。
前者は調子に乗りやすく、後者はいかにも実直だ。
M.BOUDIN:MARCEL PONCIN,M.RIDEAUT:MICHEL BAZALGETTE
いかにも勿体をつけたパルマー教授。作曲家かつ教師にしては策士で、腹に一物。
PROFESSOR PALMER:AUSTIN TREVOR
ネストん夫人。上流階級ながら俗っぽく、けして上品とはいえない。
パルマー教授とともに、俗人の雰囲気をうまく出している。
LADY NESTON:IRENE BROWNE
指揮者リヴィー。プライドは高く、バランスのとれた常識人。
ボリスの創造に、欠けがえのない人物を手堅く演じる。
LIVY:ESMOND KNIGHT
美術監督、ラトフ。軽妙で温和。
ボリスが頼りとし、彼と対等に話ができる、ほぼ唯一の人物。
RATV:ALBERT BASSERMAN
イリーナ・ボロンスカヤ。現代にはいない、ふくよかな体形のダンサー。
着やせするタイプで、素敵な装いで軽やかに歩く様は格好よい。
BORONSKAJA:LUDMILLA TCHERINA
イワン・ボレスラフスキー。主役級ダンサーだが、マイペースで、どこか他人事。
「赤い靴」の本番前には、ボリスの握手に気づかないほどアガる。
また、ボリスの重要な決定会議に、彼は入らない可笑しさ。
ロバート・ヘルプマンは、この映画で振付師としても大活躍。
IVAN BOLESLAWSKY:ROBERT HELPMANN
グリシャ・リュボフ。エキセントリックなダンサーと「赤い靴」の狂言回し。
マシーンは、ディアギレフに見出された伝説的なダンサーで
この映画の出演時は50歳を超えていたが、高く柔らかい跳躍は見事である。
GRISCHA LJUBOV:LEONIDE MASSINE
ジュリアン・クラスター。作曲家、指揮者。
役者のマリウス・ゴーリングは、シーンによって演じる表情が異なる。
俗っぽさ、崇高さ、初々しさ、ふてぶてしさなど、色々な味を出している。
6年後の映画「裸足の伯爵夫人」では、いやらしい中年男を演じ、別人のようだ。
JULIAN CRASTER:MARIUS GORING
ボリス・レルモントフ。プロデューサー。
芸術にかける熱情と厳格を自他ともに求め、俗人には辛辣このうえない。
まさに、この映画のはまり役。圧倒的な存在感である。
BORIS LERMONTOV:ANTON WALBROOK
ヴィクトリア・ペイジ。ダンサー。
この役は、モイラ・シアラーの名を永遠のものとした。
VICTORIA PAGE:MOIRA SHEARER











2015年5月10日日曜日

生涯ベストワンの映画 「赤い靴」(4)

今回は、服装に焦点を当てる。
主役のヴィッキーの装いが、本当に素敵だ。
バレエシーン以外を順に挙げる。

冒頭のコンサート会場。
ゆったりした濃紺地のガウンで、襟と袖に白い幅広のレースを飾る。
王冠とネックレスは多くの真珠があしらわれている。


パーティー会場での、黒いカクテルドレス。
胸元と足元の裾は、クリーム色のレースが施されている。
真珠のネックレスは、昼間のコンサートと同じもの。


コヴェントガーデンの市場で、明るい茶色のかっちりしたスカートスーツ。
羽飾りのある帽子も、大ぶりのバッグも、同系色で統一し、
襟元はサラダグリーンのスカーフ。
このオーソドックスかつ魅力的な装いは、ほんの少ししか映らないが、
市場の人混みのなか、しなやかに歩くヴィッキーを目の当たりにした
八百屋のおやじに、“What a corker!”と言わしめている。


コヴェントガーデン(劇場)の楽屋口で。
ベルベットのような生地の濃紺(ネイビー・ブルー)のスカートスーツに、
先に登場したサラダグリーンのスカーフを合わせている。
上品で、洗練された感覚。赤い髪が映える。


モンテカルロに着いたとき。
パステルカラーが鮮やかな横縞の半袖シャツと濃紺のパンツ。白いヒール靴。
夜は、紫に近いピンク(オペラモーヴ)のゆったりした上着を着ている。


クリスマス・グリーンでコーディネートされたロングドレス。
王冠はサファイアのように光るガラス。
ネックレスは緑石と真珠のコンビネーションで、全体に色彩が統一されている。


「赤い靴」初演の翌朝。
濃い灰緑(ゴーディ・グリーン)の地に、白い水玉のガウン。
練習着の上に羽織るものだが、さまになっている。


夜のデートの場面。
リバー・ナイル地のサリーのような布を頭から冠って、緩やかに着こなしている。


駅で、ボリスとの決別のとき。
ネイビー地に白い2本のラインが鮮やかなTシャツに、同じ色のパンツ。白いヒール。
シンプルで、きりっとした印象を受ける。


列車内で、ボリスとの再会時。
鮮やかなグリーンのワンピースドレス。腰から下は、灰緑色。
金のブローチとブレスレット。大きな麦わら帽。
体のラインを強調したデザイン。


このように見てくると、ヴィッキーの服は青や緑系の深く落ち着いた色が多い。
原色の赤や黄の服は皆無だ。彼女の赤毛に合わせたものか、
または、当時の流行だったのかもしれないが、それ以上に、
「赤い靴」の原色の赤を、色彩の演出上、目立たせたかったのかもしれない。


ついでに、イリーナの服も。
朝の練習に遅刻。淡いサラダグリーンのワンピース。
スカートを翻して軽やかに歩くさまは格好よい。


パリで別れるときの、ベージュのスーツに幅広の黒い帽子、金のチョーカー。


おまけで、ボリスの服装についても触れる。
彼は役柄上、ほとんどがスーツ姿だが、2つの場面でそれ以外の装いをしている。

ひとつ目は、優雅な朝食のシーン。イングリッシュ・アイビーのガウン。
ジュリアンに言うべきことを言ったのち、
煙草を手にしながらラスクを紅茶によく浸し、
“Good morning”と会見を切り上げ、ラスクを口に放り込む粋。


二つ目は、Sunset Villaのシーン。
黒いアンダーシャツの上に、鮮やかなスカイブルーの半袖シャツをラフに着て、
赤く長いスカーフ、白いズボン、サンダルという組合せ。
(つづく)