2015年10月25日日曜日

幻の記憶 「ねむり穴」

小学2年生。クラスの学級文庫に、とても面白い本があった。
書名は、「ねむり穴」。

アメリカの、古くからある村に赴任してきた教師が主人公。
村には、“ねむり穴”という場所があって、その付近では不思議なことが起こる。

夜中に音楽がかすかに聴こえるので行ってみると、
村人たちが月明かりのもと、輪になって踊っている。
楽しそうに、でも、にぎやかな音はない。

また、昼間そのあたりで遊んでいたり、本を読んでいたりすると、
決まってもうろうとしてきて、眠りに引き込まれる。
夕方になって目を覚まし、慌てて逃げ帰る。

それから、村には、馬にまたがった首なしの騎士の幽霊が出て
人々を怖がらせる。

教師は、夜道でその幽霊に遭ってしまい、そのまま行方不明になる。
ところが、しばらくして、別の町に行った村人が、
くだんの教師がなぜか偉くなって、その町に平然と住んでいることを伝える。
・・・

その本は、2年生の教室で繰り返し読んだが、
学年が変わると共に、物語は記憶だけとなり、
その後、30代の半ばまで、その本の筋をおよそ並べると、以上のようになる。

魅力的だったのは、村人たちが月明かりの下で幻のように踊る場面、
それに、いなくなった教師が、全然別のところでひょっこり生きている、
という最後のおちである。

今の趣味に繋がる幻想性を帯びていると思う。

そして、30代の半ば。
レイ・ブラッドベリの「刺青の男」を読み直していたら、未来の禁書の一冊に、
ワシントン・アーヴィング著「眠り洞(うろ)の伝説」、とあった。
いささか興奮した。かの本には原作があったのだ。

レイ・ブラッドベリ「刺青の男」

すぐに調べたところ、アービング著、「スケッチ・ブック」の一編である、
「スリーピー・ホローの伝説」が、まさに該当作だと判明した。
当時、インターネット古書店で、最初に購入した本が、
新潮文庫のその本だった。

アーヴィング著「スケッチ・ブック」
その後また、10年程度が経過し、ふと思い立って
ネットオークションで検索をかけたところ、「ねむり穴」の出品があった。
すぐに応札して、安く入手できた。

届いた本は、1964年12月に日本書房から発行された、
アービング原作、大石克己・文、石垣好晴・絵になるものである。

大石克己 翻案「ねむり穴」
まず、表紙が記憶と違った。
覚えている表紙は、主人公が本を持って立っていて、
暗い背景のなかで、目を回している様子だったはずだ。

また、一読して驚いたのは、村人たちが月明かりに踊る記述がないこと。
手をつないだ絵まで記憶していたのに、その場面がなく、半信半疑だった。

国会図書館を検索すると、「ねむり穴」は同じ翻案者で
1961年発行となっている。
表紙は、もしかすると版が変わったときに入れ替わったと推測することもできるが、
その際、踊りの場面をわざわざカットすることも考えにくい。

30年近く自分のなかで醸成された、まったくの幻なのだろうか。

ただ、その幻の記述に、その後の趣味が影響を受けているので、
ウロボロスのようにどちらが先か、わからなくなってきている。







2015年10月18日日曜日

イマジネーションの宝庫 「妖精画廊」

大学時代、疲れた体と頭を癒すため、
大学図書館の4階にある美術書の部屋へ、しばしば寄った。
気分転換のためだけでなく、演劇の舞台の発想を湧かせる目的もあった。

絵画、建築、デザイン、写真など、さまざまな本を眺めたが、
重厚な本が多いなかで、何度も手に取る薄いソフトカバーの画集があった。

タイトルは「妖精画廊」。
“挿絵黄金期の絵師たち”と副題があり、編者は、荒俣宏である。
タイトルの「妖精」は、荒俣が企画した、今はなき月刊ペン社の“妖精文庫”の
別冊した発刊されたことに依ることを、後年知った。

ともかく、この本に出てくる挿絵たちは、どれも素晴らしい。
僕は、どれほどイマジネーションを刺激されたことか。

「妖精画廊」目次

「The Blue Bird」(F.Cayley Robinson)

薄い本なのに、美しい絵が豊富に掲載されている。
最初に本を開いたときの驚きは、まだ覚えている。

この本のおかげで、エリナー・ボイル、リチャード・ドイル、ウォルター・クレイン、
エドワード・バーン・ジョーンズ、ウィリアム・ティムリンなどの画家の名を知った。
また、ウィリー・ポガニーは、岩波の絵本「金のニワトリ」の挿絵画家で、
子供のころからあるその本を、改めて見直した。

それに、何度見返しても惹き込まれる絵がある。
羽帽子をかむり、装飾的なドレスに身を包んだ少女が、
ベンチで本を読み、こちらを振り向いたところである。
少女は蠱惑的であでやかな表情を浮かべる。
対照的に、少女の膝に載る犬は無表情でこちらを見る。

この絵が好きなのは、少女がいる場所だ。
森のある公園のなかなのだろうか。
木々はあるが、淡い光の向こうに、うっすらと見える。
この光は、朝もやか、それとも夕暮のエーテルか。
不思議な空間である。

in THE STRAND MAGAZINE
マリオ・ラボチェッタの絵は、荒俣宏と同様に、この本で最も好きなもののひとつだ。
色合いが素晴らしく、細部も入念に描いている。
じっと見つめると、曲線が動き出して、軽いめまいを覚えるほどだ。

「Tale of Hoffmann」(Malio Laboccetta)

(同上)
上の左ページの絵にあるランプは、演劇部で舞台に出すパネルの図柄に用いた。
このパネルに囲まれた舞台は、それだけで異空間となった。


モノクロの絵も、素敵なものがある。
ジョン・オースティンの掲載作は、直線を効果的に用いた背景と
十二等身ほどにデフォルメされた人物が、モダンを感じさせる。

「Don Juan by Lord Byron」(John Austen)

(同上)
その後、社会人になって、念願のこの本を古書店で購入した。
また、やはり古書店で「妖精画廊 Part2」を見つけ、喜んで購入した。
そして、20年ほど前に、「新編 妖精画廊」を書店で見つけ、
こちらも迷わず購入した。

「妖精画廊」3冊
以下は、「妖精画廊 Part2」で印象的なものから。

「秘密の山」(K・タウンドロー)

「自然の殿堂」(J・フュスリ)

「トロイリスとクリシダ」(エリック・ギル)

「ガルガンチュワとパンタグルエル」(R・A・ブラント)
そして、「新編 妖精画廊」から以下を。
続編もそれぞれ、美しいカラーの図版が多いが、
モノクロの絵に不可思議な魅力を湛えた絵が多い。

「BOOK OF WONDER」(シドニー・H・シーム)

ハリ―・クラーク

後年、これらの挿絵本を、自分でも所有することになった。
マリオ・ラボチェッタの実物は、心底素晴らしかった。

「Tale of Hoffmann」(Malio Laboccetta)

(上掲部分)

“come not, Lucifer!”(R・A・BRANDT)

2015年10月12日月曜日

モダンへの第一歩 クレー「セネシオ」

クレーの絵が好きだ。

最初は、おそらく1979年の、どこからか貰ったカレンダーだった。
2か月に1枚のそのカレンダーには、クレーの絵が掲載されていたのだ。

そして、最初の1枚が、「セネシオ」だった。

それまでは、コローに代表されるバルビゾン派の絵、
特に「モルトフォンテーヌの追憶」のような絵が大好きだった。
実際、コローやジャン・フランソワ・ミレ―の絵も自室に貼っていた。

ところが、「セネシオ」を壁に貼ると、部屋の雰囲気が変わった。
白い壁を背景に、その絵のあたりが奇妙に明るく、
そのとき感じた感覚は、何か今までとは違う、清新で衒学的な、
なぜか来たる将来に、わくわくするような感じをもった。

パウ・クレー「セネシオ」


うまく表現ができないが、それまでは絵画にせよ、映画にせよ、
実在するものを、それぞれの作家の感性で描いたものに惹かれていたのだが、
もっと別のものが自分のなかに入り込んで、輝き出したような感じだった。

後から思えば、それが自分なりに、モダニズムというものを感じた
第一歩だったのだと思う。

“自分なりのモダン”とは、絵画、音楽、建築、文学などに接したとき、
それを感じることがある。
その感覚は、西欧的で、品性があり、スマートで、
リズムやユーモアやスピードや直線・曲線などのイメージを鮮烈に感じることができ、
洒落ていて、哲学的でもある。

クレーの絵が部屋に現れたのは、ちょうどドビュッシーのピアノ曲を聴き始めたころだった。
それまでは、クラシックを聴き始めたばかりだったので、
「運命」、「未完成」、「悲愴」やシベリウスなどの交響曲や
前出のリパッティのピアノ協奏曲を繰り返し聴いていた。

やはり、重厚な音楽たちとは異なる、煌めくようなもの、幻想的なものを感じた。
ちょうど、新たな感性と出会い、受けとめることができるようになった年頃だったと思う。

クレーは好きな画家のひとりとなったが、「セネシオ」との鮮烈な出会いは
影響していると思う。

2015年10月4日日曜日

壜のある景色(金山康喜)

新聞で、心惹かれる絵を見た。

青い床の不思議な空間。
手前の茶色いテーブルには壜が3本。
中景には、紫の長テーブルの周りに男が4人、
話すでもなく、黙って寄り合っている。
奥には、ここが2階以上を想わせるテラスが、大きな開き戸から見える。

この空間を不思議なものにしているのは、
天井からいくつも吊り下がっている薄色の丸いライトと、
黒猫のように奥から手前に並んでいる椅子の数々だ。

静かだが、いわくありげな画面である。

「食前の祈り」(1950年)
画家は、金山康喜。

裕福な家庭に育ち、東大経済学部を卒業後、
大学院時代にフランス語を学び、そのままフランス渡航。
26歳で仏語の経済書を翻訳し、絵画も手掛ける。
結核を発症して肺の一部を切除、サナトリウムで療養。
画家としても将来を嘱望され、32歳で帰国。
日本で個展を開催するが、33歳で夭折する。

画集が欲しくて、15年前の展覧会の図録を古書店で買い求めた。

テーブルに壜が置かれた絵が多い。透明感のある色彩が美しい。
日常を、モダンで静謐なひとつの景色にしている。

彼の年譜の写真は、1歳の頃のあどけない笑みのほか、どれにも笑顔はない。
自身の怜悧な天才と、運命を予感しているかのようだ。

「コーヒーミルのある静物」 (1957年)