2015年7月26日日曜日

見守られる日常 (菩薩面)

幼いころからずっと、菩薩面が家のなかに掛かっていた。
ふくよかな、穏やかな顔で、笑みをたたえている。
見る人を安らかな気持ちにさせる表情だ。



入手したいきさつを母から聞いたことはあるが、忘れてしまった。
ただ、この面が好きだったので、実家から譲り受けて、
今に至るまで、壁に掛けている。

天井に近いところに掛けているため、
立って見ても、やや下から見上げる格好になる。
正面からの角度よりも、しもぶくれで
すました表情から和らいだ表情に変わる。



椅子に座って見上げると、はっきりと微笑んでいるように見える。
撮影した画像を見るとそれほどでもないが、肉眼で菩薩を見ると
表情が明らかに異なる。

唇の端があがり、目は閉じながらもこちらを心眼で見ているようだ。


幼いころから、常に見守ってもらっている。

2015年7月20日月曜日

神の大いなる怒りの日(ジョン・マーティン)

20年前。書店で、凄い画集を手に取った。

天地が裂ける。雷鳴が轟く。
洪水が渦巻く。人々が雪崩を打つ。
近景から遠景に向かって、凄まじい広がりと奥行き。
絵のなかに吸い込まれそうになる。

画家は、ジョン・マーティン。
1854年に64歳で亡くなった。
壮大なビジョン。巨大なスケール。
「狂えるマーティン」と呼ばれたと云う。

「神の大いなる怒りの日」

「ポンペイとエルコラーノの壊滅」

「大洪水の前夜」

メゾチントの絵も、油彩に劣らず凄まじい。
また、細部まで緻密に描き込まれて臨場感がある。
渦巻く雲や、遥かに見える光源を背景に、
不穏で湿った空気や冷たい岩肌などの触感さえ
身内に湧いてくる。

「バビロンの陥落」

「アダムとエヴァの楽園追放」

「混沌にかかる岩橋」

ジョン・マーティンは、画家としての名声を確立したのち、
上下水道設備の改良を主体とした都市計画に打ち込んだらしい。
自らの資産を注いだプランは、しかし規模壮大に過ぎて
実現にはほど遠く、見果てぬ夢であり続けた。

都市計画の夢破れ、破産同然の彼が、晩年に最後の力を振り絞って描いたのが
「審判三部作」であり、そのうちの1枚が、冒頭の「神の大いなる怒りの日」である。

この恐るべき空想力とビジョンは、古典を超えモダンであり、
現代の絵画やイラストレーションに通ずるものと思う。

2015年7月12日日曜日

芳醇な世界への水先案内 「幻想文学1500ブックガイド」ほか

20年近く前。
仕事で20人の部下をもち、自らもプロジェクトをこなす毎日。
気がつけば、仕事に関係する本しか読んでいない。
そして、心が乾いていることに、危機感を抱いた。

新聞の書評などを頼りに、久々に小説を買った。
ただ、読書の充実感は、まだ取り戻せなかったように思う。

そんなとき、やはり書評に載ったのが、「幻想文学1500ブックガイド」。
“幻想文学”とはどのようなジャンルを指すのか、あまり意識せずに買ってみた。

そして、理解した。
なんと、“幻想文学”とは、子供のころに読んでいた
幽霊、妖怪、妖精、異世界などにまつわる、怪奇と不思議の物語であると。

小学生のころ、「世界の名作怪奇館」(講談社)や「世界怪奇スリラー全集」(秋田書店)を
図書館で借りて、何度も読んだ。
また、小学4年で、平井呈一訳の「怪談」を文庫で読んだ。

もちろん、不思議な物語だけを読んでいたのではない。
物語をたくさん読んだし、ルブラン、コナン・ドイル、ウェルヌ、江戸川乱歩、海野十三など、
探偵小説やSF小説も読んでいた。
中学時代に、欧米の推理小説に夢中になり、高校では日欧の古典的な小説に挑み、
大学では、村上春樹などの旬の作家と、演劇や美術に関連した本を主に読んでいた。

そして、30代なかばで“幻想文学”に久々に触れたとき、二十数年のときを飛び越えて、
再び血が騒いだ。

「幻想文学1500ブックガイド」を参照して、面白そうな本を探してみた。
驚いたのは、紹介されているかなりの本が、絶版になっていたこと。
そこで、ネット古書店やネットオークションで、コツコツと本を買いためていった。

もう一冊、単なるガイドを超えた貴重な本は、「世界幻想作家事典」だ。
荒俣宏の労作、力作だ。本の刊行時、彼は30歳を超えたところ。
その齢で、よくもこれだけの作家情報を網羅したものだと驚嘆する。

この本は、福井駅前の古書店で偶然手に取るまで、その存在は知らず、
凄い獲物を得たと喜びながら、出張から帰った覚えがある。

幻想文学の水先案内となる、貴重な2冊


以降は、幻想文学を中心に蔵書が形作られることになった。
また、幻想文学のガイド本も、次第に増えていった。



ふりかえれば、これらのガイド本によって、素敵な本を得て、芳醇な世界に遊べた。
今は、仕事や日常生活に追われ、本を読む時間そのものが取れない。


2015年7月4日土曜日

音楽はすべてに勝る 「ある日どこかで」

10年以上前のこと。
予備知識はなかったが、レンタルビデオ屋で手に取り、この映画を観た。
とても心に残り、ほどなくDVDを購入した。

ある人が観れば、荒唐無稽なストーリーである。
だが、この世界に浸れる人は、幸せと切なさを感じられる。

原作は、リチャード・マシスン。
ただ、この映画では、ジャック・フィニを強く意識している。
原作にはない、“フィニ博士”という人物が登場し、
主人公に時間移動の方法を指南するほどだ。

ジャック・フィニは、現在と過去を行き来する小説を
ノスタルジーと愛をテーマに、繰り返し書いた作家だ。
彼には「愛の手紙」という大好きな短編があり、
僕はこの映画を観るたびに、その短編の、はっとする切なさを思い出す。

この映画のジェーン・シーモアは、とても魅力的だ。
上品な色香も、芯の強さも、茶目っ気も。
主人公のクリストファー・リーブは、役柄からいえば少々巨漢に過ぎるが
それを補うみずみずしい若さと直情さがある。
原作のニヒルさは微塵も感じさせず、好青年そのものだ。

そして、なんと言っても、最高に素晴らしいのは、ジョン・バリーの音楽だ。
何度聴いても、心が震える。
ラフマニノフのラプソディも印象的に使っているが、
劇的な場面はすべて、彼の作曲したメインテーマが流れる。

この映画でいえば、音楽はすべてに勝る。

  *****

主な登場人物を挙げる。
Dr.GERALD FINNEY:GEORGE VOSKOVEC
フィニ博士を演じるジョージ・ボスコベック。
「第三の男」(1949年)では、主人公を追い詰める脂ぎった悪党役だった。
それから30年。時折見せる不敵な表情は変わらない。

LAURA ROBERTS:TERESA WRIGHT
「疑惑の影」(1943年)では少女のようだったテレサ・ライト。
脇役だが、往年の演技派女優。さすがに印象に残る配役だ。

W.F.ROBINSON:CHRISTOPHER PLUMMER
この映画で一番残念なのは、彼、クリストファー・プラマ―。
実年齢はようやく50歳に達したところなのに、意地悪な爺さん役。
端正な顔立ちのせいで、厳しさだけが印象に残ることになってしまった。
ただ、現在に至るまでコンスタントに活躍を続ける素晴らしい役者に、乾杯!


ELISE McKENNA:JANE SEYMOUR
自立した女性の強さと、コスチュームをまとう美しさを
見事に演じた、ジェーン・シーモア。
他の映画やテレビドラマは観ていないが、
この映画が彼女の魅力の頂点ではないかと、決め込んでいる。

RICHARD COLLIER:CHRISTOPHER REEVE
この映画の切なさは、クリストファー・リーブの15年後の事故を
思うからかもしれない。彼は、それからも勇気をもって生き、
今の僕と同じ年齢で亡くなった。