父に連れられて街なかへ行った帰り、
おそらくは父の思いつきで、バスではなく徒歩で
自宅まで戻る途中だった。
すでに夜で、しかも霧が出ていた。
父も歩くのは初めてらしく、どう道をたどったのか、
古本屋に偶然出くわした。
店の灯りが暗い路面を照らしている。
店に入ると、子供心に大きな空間だと思った。
本ばかりでなく、玩具や切手なども置いてあり、
夜なのに他の客もいて、にぎやかだ。
しばらく見回ってから、宇宙切手のセットを父に買ってもらい、
その店を出た。
角を曲がるときに振り返ると、夜霧を透かして店の灯りが
ぼうっと見えたのを覚えている。
またその店を再訪したくて、日中に父にせがんで連れて行ってもらった。
ところが、父が思うあたりをいくら探しても、店が見つからない。
結局、その日は店を見つけず終いだった。
父は、霧の夜に入ったあの店は、
実はまぼろしだったんじゃないか、と言いだした。
宇宙切手もカラフルであるが、その時分に収集していた日本切手と比べると
シールみたいで、化かされているかもしれない、というのだ。
母も興が乗って、今度は母や妹も含め4人で、古本屋を探しに行った。
そして・・・、その店はあった。
昼間に入ってみると、神秘性は薄れたが、
やはり品揃えはよく、よい店だったのだと思う。
前置きが長くなったが、その店で買ってもらったのが、
“ベルヌ名作全集6「地底の探検」”だ。
ジュール・ヴェルヌの著作との、初めての出会いである。
1968年 偕成社刊 「地底の探検」 |
「地底の探検」裏表紙 |
謎めいた言葉が出てきて、胸を躍らせる。
また、旅の間に何度も登場する錬金術師の名、
アルトニ・サクヌッセムという響きもよい。
彼が文字どおり、驚異と神秘の世界へ誘うのだ。
この小説は、冒険の山場がいくつもあって面白く、何度も読み返した。
途中で行き止まりとなり、引き返すうちに水がなくなる場面、
それに、主人公のアクセルが、連れとはぐれてしまう場面は
文字どおり、息苦しい展開だ。
地底の海のイカダ航での、海獣との遭遇、嵐の襲来、計器の不調など
その後も立て続けに事件が発生する。
漂着後には、古代生物の骨や人類のミイラなどを発見したのも束の間、
生きたマストドンの群れと、それに対峙する巨人の出現が恐怖の頂点である。
(「憑かれた女」で引用した。)
終盤は、トンネルを塞ぐ巨大な花崗岩を火薬で爆破した衝撃で、
大量の海水と共にイカダが流され、次第に地底ではなく地上の方へ、
真っ暗ななか、時速50キロでで持ち上げられる。
そして遂に、噴火口から吹き飛ばされて、何とか地上にたどり着く。
アイスランドの荒涼とした地と旧火山の噴火口から始まった探検は、
イタリアはストロンボリ島の活火山から脱出して、大団円を迎える。
いや、それは大団円だったのか。
彼らは、目指していた地球の中心地へ行けないのである。
それでも、この冒険者たちのすがすがしさはどうだろう。
様々な困難を乗り越えて、北の国から南の島へ到達した、
その達成感が感じられる。
大学の先輩は、子供のころ同じ本を読んで、
「あれは地球の中心へ行けなかったところがよい」と言った。
それもまた、ひとつの見方だと思う。
***
この本は児童書であり、随所に挿絵があるが、それがまた臨場感を高める。
画家は司修。好きな画家であり、文筆家である。
この本の挿絵は、いま見ても素敵な絵が多い。
ただ、岩の爆破から噴火口へ昇っていく過程の3枚の挿絵は、
他の絵とトーンが異なっている。人物表現が突然リアルになるのだ。
謎が解けたのは、この本を買って10年くらいあと。
愛読するもう1冊のヴェルヌ著作、「海底二万海里」の挿絵から、
人物をコラージュしていたのだ。
「海底二万海里」挿絵 |
(同上) |
ネモ船長であることに気づいた。
そして確かめるうちに、岩の爆破シーンで身を伏せている人物が、
なんと、南の島で極楽鳥をつかまえるコンセーユであることが判明した。
あのときは、まったく面白くて大声で笑った。
「海底二万海里」挿絵 |
さて、「地底の探検」の冒険者は、前述の若者アクセルと、
その伯父のリーデンブロック博士、そして従者のハンスである。
それぞれの個性が面白い。そして、この3人の個性は、
そのまま「海底二万海里」の3人に受け継がれている。
常識的な観察者で、語り部となるアクセルとアロナックス。
情はあるが、短気で気難し屋のリーデンブロックとネッドランド。
無口で忍耐強い従者のハンスとコンセーユ、である。
登場人物で特筆すべきは、リーデンブロックで、
好きなポール・デルヴォーの展覧会で、
彼が何枚の絵にも登場していた。
ポール・デルヴォー 「月の位相Ⅱ」 |
司修の絵とは異なるのは当然だが、あまりに個性的で若いイメージのため、
しばらくはデルヴォーが創作したのだと思っていた。
ところが、文庫本の原著を見直したところ、冒頭にそのままの姿が載っていた。
画家、エドゥアール・リウーの創造だったのである。
「地底旅行」 エドゥアール・リウーの挿絵 |