2015年12月6日日曜日

全身での感応 (ゴッホの2枚の絵)

「ゴッホ書簡全集」を座右の書にしているという
金属加工業のかたわら文学に携わる人の記事を読んだことがある。
金属加工のイメージ、つまり繊細で、地道で、厳しい仕事を思い、
では、その人が常に手に取る読み物とはどのようなものか、
それを知りたくて6冊の全集を買い、斜めに読んだ。

書簡集を読むと、思い込みが激しく、行動力もあるひとりの男が
何を考え、どのように自らを導いたのかがあからさまにわかる。
フィンセントのあの苛烈な生き方の発想が、どのようなものかという
興味には充分応えてくれた。

ただ、読むほどに、彼の作品が見たい。
タイミングよく、ゴッホ展が開催された。10年前のことだ。

「夜のカフェテラス」、「ひまわり」、「黄色い家」、「種をまく人」、
「糸杉と星の見える道」、そしてパリ時代の自画像などが目玉の、
本格的な展覧会だった。
ゴーギャン、エミール・ベルナール、モンティセリなど、
書簡集に登場する画家たちの絵もあって興味が深まる。

よく知られた絵を間近に見て感じて、とても愉しめたが、
その会場で、特にふたつの絵に惹かれた。
印刷物でも見たことがなく、そのときが初見だった。

ひとつは、「サン=レミの療養院の庭」。

誰もいない療養院の中庭。
主役は、花々を咲かせた樹木と、地面を覆う草たちだ。
木々の花は、白、薄黄、ピンク、赤と色とりどりで、
葉の鮮やかな緑とともに、萌え出ずる様が感動的だ。
地の草々も天に向かうように伸び、勢いがよい。
コバルトブルーの空は美しく、またその青が地面に映えている。

ベンチがぽつんとあり、フィンセントを象徴しているように見える。
ただ、色彩鮮やかな植物と、黄色の療養院の壁に囲まれて
けして孤独な様子ではない。空の青は、ベンチにも映っている。

この絵を最初に見たとき、絵具の色があまりに鮮やかで、
しかもニスのせいで、木々や花たちが煌めくように光っていることに驚かされた。
とても100年以上前に描かれた作品とは思えない。
また、これは実物を見なければ、けして味わえない感動だ。
保管者側で、極めて丁寧に修復されているのだと思う。

「サン=レミの療養院の庭」(1889年)

出品されたなかで、もう1枚、好きな絵があった。
「夕暮れの風景」だ。

黄色とオレンジに彩られた夕暮れの空。
樹木や畑作の緑は、色を失いつつあり、
真ん中から置くへ続く道は、空の色を映している。
奥には青い屋根の建物があり、空の黄色と対している。

この絵のタッチは力強い。
手前の木は、立体的な塊りが鈴なりになっているようだ。
ぐぐっ、ぐぐっと音が聞こえるような筆の運び。
奥のこんもりとした樹木は、根元からの樹勢から枝葉を空に放ち、
まるで黒い炎が燃え上がっているように見える。
いずれも、黄色の空に、ほとんど黒のシルエットとして浮かぶ。

畑の作物は、あるものは整然と太く縦に並び、空間に広がりを感じさせる。
またあるものは地面に伏せており、地がうねるようにも見える。

そして、上半分を占める空。並行の太い線が幾重にも連なり、
陽の動きに伴い、まるで空全体が大きくゆっくり流れているようだ。

そのようなタッチの絵でありながら、不思議と安らぎと懐かしさを覚える。
そう。この絵の最大の魅力は、郷愁と孤独なのだ。
見る者の胸を締めつけるような情感を、この絵は湛えている。

「夕暮れの風景」(1890年)

この展覧会には、2回行った。
2回目は、開館直後に入り、まっすぐにこの2枚の絵の前に行き、
全身で絵から感ずるものを受けとめた。
そして、人々が多くなってくるまで、絵の前にいた。

この2枚は、好きなだけでなく、所有したい絵である。
部屋に飾って、ひとりでいつまでも見入りながら、酒を呑みたい絵である。

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