2015年10月12日月曜日

モダンへの第一歩 クレー「セネシオ」

クレーの絵が好きだ。

最初は、おそらく1979年の、どこからか貰ったカレンダーだった。
2か月に1枚のそのカレンダーには、クレーの絵が掲載されていたのだ。

そして、最初の1枚が、「セネシオ」だった。

それまでは、コローに代表されるバルビゾン派の絵、
特に「モルトフォンテーヌの追憶」のような絵が大好きだった。
実際、コローやジャン・フランソワ・ミレ―の絵も自室に貼っていた。

ところが、「セネシオ」を壁に貼ると、部屋の雰囲気が変わった。
白い壁を背景に、その絵のあたりが奇妙に明るく、
そのとき感じた感覚は、何か今までとは違う、清新で衒学的な、
なぜか来たる将来に、わくわくするような感じをもった。

パウ・クレー「セネシオ」


うまく表現ができないが、それまでは絵画にせよ、映画にせよ、
実在するものを、それぞれの作家の感性で描いたものに惹かれていたのだが、
もっと別のものが自分のなかに入り込んで、輝き出したような感じだった。

後から思えば、それが自分なりに、モダニズムというものを感じた
第一歩だったのだと思う。

“自分なりのモダン”とは、絵画、音楽、建築、文学などに接したとき、
それを感じることがある。
その感覚は、西欧的で、品性があり、スマートで、
リズムやユーモアやスピードや直線・曲線などのイメージを鮮烈に感じることができ、
洒落ていて、哲学的でもある。

クレーの絵が部屋に現れたのは、ちょうどドビュッシーのピアノ曲を聴き始めたころだった。
それまでは、クラシックを聴き始めたばかりだったので、
「運命」、「未完成」、「悲愴」やシベリウスなどの交響曲や
前出のリパッティのピアノ協奏曲を繰り返し聴いていた。

やはり、重厚な音楽たちとは異なる、煌めくようなもの、幻想的なものを感じた。
ちょうど、新たな感性と出会い、受けとめることができるようになった年頃だったと思う。

クレーは好きな画家のひとりとなったが、「セネシオ」との鮮烈な出会いは
影響していると思う。

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