「春夜」と題されたその絵は、おちょぼ傘を持つ、いかにも飄々とした人物のまわりに、
大胆に面を区切って建物が配され、それぞれに影絵のように人物が見えた。
モダンで、猥雑さを感じさせる絵。
とても心に残った。
以来、谷中安規という、その版画家を記憶した。
ある日、その作品のひとつを目にする機会があった。
完全に、引き込まれた。「蝶を吐く人」である。
・・部屋のなかに、素裸の男がいる。
男は、口のそばに手をかざし、その口から一匹の白い蝶を吐いたところだ。
大きく切り取られた窓の外は、明るい月夜であろうか。
明かりが部屋のなかを照らし、壁に、口をあけた男と蝶の拡大された影が映る。
蝶は一匹ではなく、窓の明るさを背景に、大きなシルエットになって空中に浮かぶ。
部屋の床は、一面を覆うばかりのハスの花か。
部屋の左の仕切りは斜めに倒れ、右側の壁はいつしか無くなり、
裸の男女が祝いごとのように葉のついた木を掲げ、行進している・・。
これが、悪夢でなくて何であろうか。
こちらまで、おかしくなりそうな不思議な絵だ。
蝶を吐く人 |
作者の谷中の評伝「かぼちゃと風船画伯」を読んだ。彼は、まったく世俗とはなじまない人。
30代で、ようやく版画家として名が売れてきたが、服装に構わず、金銭感覚はまるでなし。
いつも生ニンニクをかじり、失恋の痛手に、寺の本堂で毎夜裸で踊り狂う。
いや、僕は、アーティストがどういう人間でもいい。
その作品に魅力があれば、まったき市井のひと、温和な生活人で、全然構わない。
ただ、おそろしい版画の作者は、あまりにもぴたりと、おそろしい魔物だった。
谷中安規の版画に、好きな絵はいくつもある。
シンプルにしてモダン。表現主義の影響を受けた絵、可愛らしい挿絵もある。
父の遺品の、内田百閒作「居候匆々」(昭和17年 2刷)。
この挿絵も谷中作とわかり、慌てて見直した。
冒頭の記した、2004年の美術展の図録。
古書価は高かったが入手した。その充実度は、飽きることがない。
本当に絵が巧いなあという感嘆と、溢れ出る妖夢の空恐ろしさに、
忘れ得ない感動を残す、素晴らしい一冊。
そのなかで、好きな絵、というよりも、震撼させられた絵をふたつ。
谷中、34歳ころ。これもモダンな、60年代の集合住宅思わせる建物。
あろうことか、巨大な裸婦が団地によりかかり、または地べたに寝そべる。
「飛ぶ首」は、寝そべる女の向こうに飛び跳ねる人造人間の、
頭だけが切れて宙に浮き、首のない彼は、その頭を指し示すように躍動している。
女の存在は、とてつもなく謎で、怖い。
情景はまさに、白昼夢。タイトルに“薄気味悪い”と付けたが、
薄いどころか、もっと深い心情に迫る怖さだ。
ビルによる女 |
飛ぶ首 |
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