2015年1月18日日曜日

薄気味わるい夢(谷中安規)

今から11年前。新聞に美術展の紹介記事があり、版画のモノクロ写真が載った。
「春夜」と題されたその絵は、おちょぼ傘を持つ、いかにも飄々とした人物のまわりに、
大胆に面を区切って建物が配され、それぞれに影絵のように人物が見えた。

モダンで、猥雑さを感じさせる絵。
とても心に残った。
以来、谷中安規という、その版画家を記憶した。

ある日、その作品のひとつを目にする機会があった。
完全に、引き込まれた。「蝶を吐く人」である。

・・部屋のなかに、素裸の男がいる。
男は、口のそばに手をかざし、その口から一匹の白い蝶を吐いたところだ。
大きく切り取られた窓の外は、明るい月夜であろうか。
明かりが部屋のなかを照らし、壁に、口をあけた男と蝶の拡大された影が映る。

蝶は一匹ではなく、窓の明るさを背景に、大きなシルエットになって空中に浮かぶ。
部屋の床は、一面を覆うばかりのハスの花か。
部屋の左の仕切りは斜めに倒れ、右側の壁はいつしか無くなり、
裸の男女が祝いごとのように葉のついた木を掲げ、行進している・・。

これが、悪夢でなくて何であろうか。
こちらまで、おかしくなりそうな不思議な絵だ。

蝶を吐く人


作者の谷中の評伝「かぼちゃと風船画伯」を読んだ。彼は、まったく世俗とはなじまない人。
30代で、ようやく版画家として名が売れてきたが、服装に構わず、金銭感覚はまるでなし。
いつも生ニンニクをかじり、失恋の痛手に、寺の本堂で毎夜裸で踊り狂う。

いや、僕は、アーティストがどういう人間でもいい。
その作品に魅力があれば、まったき市井のひと、温和な生活人で、全然構わない。
ただ、おそろしい版画の作者は、あまりにもぴたりと、おそろしい魔物だった。

谷中安規の版画に、好きな絵はいくつもある。
シンプルにしてモダン。表現主義の影響を受けた絵、可愛らしい挿絵もある。
父の遺品の、内田百閒作「居候匆々」(昭和17年 2刷)。
この挿絵も谷中作とわかり、慌てて見直した。

冒頭の記した、2004年の美術展の図録。
古書価は高かったが入手した。その充実度は、飽きることがない。
本当に絵が巧いなあという感嘆と、溢れ出る妖夢の空恐ろしさに、
忘れ得ない感動を残す、素晴らしい一冊。

そのなかで、好きな絵、というよりも、震撼させられた絵をふたつ。
谷中、34歳ころ。これもモダンな、60年代の集合住宅思わせる建物。
あろうことか、巨大な裸婦が団地によりかかり、または地べたに寝そべる。

「飛ぶ首」は、寝そべる女の向こうに飛び跳ねる人造人間の、
頭だけが切れて宙に浮き、首のない彼は、その頭を指し示すように躍動している。

女の存在は、とてつもなく謎で、怖い。
情景はまさに、白昼夢。タイトルに“薄気味悪い”と付けたが、
薄いどころか、もっと深い心情に迫る怖さだ。

ビルによる女

飛ぶ首












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