2016年1月17日日曜日

2種類の壮大なドラマ ホルスト「惑星」

中学2年のとき、自分のこずかいで、初めてLP盤を購入した。
駅前のレコード店から高揚した気分で帰るとき、
同じクラスの友人に出会って、けげんな顔をされたことを覚えている。

ホルスト作曲 富田勲編 組曲「惑星」。
父がラジオから録音した曲の断片を聴き、ぜひ入手したいと思ったのだ。
その頃のこずかいのおよそ1か月分近くかかった。

富田勲編「惑星」ジャケット

それから何回、このレコードを聴いただろう。
中学のころは、ラジオからカセットテープに録音した映画音楽や
ジュリーアンドリュースなどしか聴かず、
レコードは、もっぱらこれ1枚だった。

母に聴かせたときに、「これが本当の音楽だと思わないで」と
言われたことも思い出す。

ただし、これは正真正銘の音楽だ。それも、とてもドラマ性が高い。
いま聴いても、とても面白い。古びていない。
クラシック音楽に本格的に触れる前に聴いたので、
宙返りするような電子音やセリフ回しのような音遊びが
邪道に思えなかったのだろう。
むしろ、映画「猿の惑星」などで、電子音の効果は格好いいと思っていたので
この音楽の豊穣でダイナミックなイメージを喚起する力に惹かれた。

富田勲編「惑星」ジャケット裏


富田編の組曲のなかで、断然好きだったのは、「金星」だ。

「火星」の終了部、ロケットの噴射音と信号音が重なり、徐々に消え入る。
一瞬の沈黙のあと、女性の歌声と弦楽を思わせる音色が聴こえ、
続いて、ハープとハーモニカを背景に、眠たげな電子音が主旋律を奏でる。

ときに本物の楽器のような、ときに歌声や口笛のような、
ときに夢のなかにいるような不思議な音がさまざまなイメージを伝えてくる。

クライマックスは、弦楽の連なりからパイプオルガンが高らかに鳴り響き、
素晴らしいハープの音に、不可思議な電子音がメロディを奏で、
弦のオーケストレーションと共に清澄になっていき、高揚する。
そしてチェレスタと鉄琴が加わり重奏しながら、遥か高みへと昇っていく。
幻想的で素晴らしいドラマだ。

ジャケット裏(拡大);富田勲の肖像

大学に入ってからオーケストラの「惑星」を聴き始めた。
最初に買ったレコードは、ズービン・メータ指揮。
シンセサイザーに慣れた耳に、「金星」などは朴訥な音に聞こえた。
ただ、聴き込むにつれて、オーケストレーションの
重厚さ、煌びやかさもわかってきた。

富田編と比べて、特にオーケストラがよいのは、「木星」だ。
シンセサイザーのような遊びをせず、最初から圧倒的な迫力で快走する。
そして、有名な中間部の旋律は、あくまで雄大で美しい。
そのクライマックスは長く、幸福な気持ちに包まれる。
いったんは落ち着くが、また冒頭部が始まり高揚し、
最後は中間部の旋律が壮大にフィナーレを飾る。

ただ、好きなのはやはり「金星」だ。
そして、それと双璧なのが、冒頭の「火星」である。

叩きつける5拍子のリズム。ユーフォニウムの高らかなソロ。
激しい曲調であるのに、不思議と胸が高鳴る。
富田編の「火星」は、オリジナルとはまったく異なる曲である。

長らくよく聴いたのが、ウィリアム・スタインバーグ指揮、ボストン交響楽団のCDだ。
この「火星」は、テンポが恐ろしく速い。この演奏で、第1楽章が好きになった。
その後、エイドリアン・ボールト盤を買ったが、テンポが遅く、もの足りなかった。

ウィリアム・スタインバーグ盤
エイドリアン・ボールト盤

先月、念願の「惑星」のコンサートを聴くことができた。
素晴らしい演奏だった。

冒頭の「火星」から胸が高鳴り続け、
「金星」では涙を抑えることができなかった。
「水星」のコケットさに救われ、
「木星」を聴き終えたときは、あまりの高揚に深いため息をついた。
「土星」で重苦しい気分を存分に味わい、
「天王星」では宇宙戦隊のような広大なイメージを描いた。
終楽章の「海王星」では、静かな夢の幻想世界に入り、
最後の女性コーラスが消え去り、会場を沈黙が支配するまで
目も心も涙を流し続けた。

亡くなった映画評論家の荻昌弘は、富田編レコードに解説を寄せ、
最後に以下の言葉で結んでいる。
「・・・ふっと、涙ぐんでしまうのだ。富田勲の、
この目もくらむ創造の軌跡を、ふりかえって。」

まったく同感である。

ホルストの「惑星」は、オーケストラ曲と富田編曲では
まったく異なる音楽である。
そして、どちらにも思い入れが深い。

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