駅前のレコード店から高揚した気分で帰るとき、
同じクラスの友人に出会って、けげんな顔をされたことを覚えている。
ホルスト作曲 富田勲編 組曲「惑星」。
父がラジオから録音した曲の断片を聴き、ぜひ入手したいと思ったのだ。
その頃のこずかいのおよそ1か月分近くかかった。
富田勲編「惑星」ジャケット |
それから何回、このレコードを聴いただろう。
中学のころは、ラジオからカセットテープに録音した映画音楽や
ジュリーアンドリュースなどしか聴かず、
レコードは、もっぱらこれ1枚だった。
母に聴かせたときに、「これが本当の音楽だと思わないで」と
言われたことも思い出す。
ただし、これは正真正銘の音楽だ。それも、とてもドラマ性が高い。
いま聴いても、とても面白い。古びていない。
クラシック音楽に本格的に触れる前に聴いたので、
宙返りするような電子音やセリフ回しのような音遊びが
邪道に思えなかったのだろう。
むしろ、映画「猿の惑星」などで、電子音の効果は格好いいと思っていたので
この音楽の豊穣でダイナミックなイメージを喚起する力に惹かれた。
富田勲編「惑星」ジャケット裏 |
富田編の組曲のなかで、断然好きだったのは、「金星」だ。
「火星」の終了部、ロケットの噴射音と信号音が重なり、徐々に消え入る。
一瞬の沈黙のあと、女性の歌声と弦楽を思わせる音色が聴こえ、
続いて、ハープとハーモニカを背景に、眠たげな電子音が主旋律を奏でる。
ときに本物の楽器のような、ときに歌声や口笛のような、
ときに夢のなかにいるような不思議な音がさまざまなイメージを伝えてくる。
クライマックスは、弦楽の連なりからパイプオルガンが高らかに鳴り響き、
素晴らしいハープの音に、不可思議な電子音がメロディを奏で、
弦のオーケストレーションと共に清澄になっていき、高揚する。
そしてチェレスタと鉄琴が加わり重奏しながら、遥か高みへと昇っていく。
幻想的で素晴らしいドラマだ。
ジャケット裏(拡大);富田勲の肖像 |
大学に入ってからオーケストラの「惑星」を聴き始めた。
最初に買ったレコードは、ズービン・メータ指揮。
シンセサイザーに慣れた耳に、「金星」などは朴訥な音に聞こえた。
ただ、聴き込むにつれて、オーケストレーションの
重厚さ、煌びやかさもわかってきた。
富田編と比べて、特にオーケストラがよいのは、「木星」だ。
シンセサイザーのような遊びをせず、最初から圧倒的な迫力で快走する。
そして、有名な中間部の旋律は、あくまで雄大で美しい。
そのクライマックスは長く、幸福な気持ちに包まれる。
いったんは落ち着くが、また冒頭部が始まり高揚し、
最後は中間部の旋律が壮大にフィナーレを飾る。
ただ、好きなのはやはり「金星」だ。
そして、それと双璧なのが、冒頭の「火星」である。
叩きつける5拍子のリズム。ユーフォニウムの高らかなソロ。
激しい曲調であるのに、不思議と胸が高鳴る。
富田編の「火星」は、オリジナルとはまったく異なる曲である。
長らくよく聴いたのが、ウィリアム・スタインバーグ指揮、ボストン交響楽団のCDだ。
この「火星」は、テンポが恐ろしく速い。この演奏で、第1楽章が好きになった。
その後、エイドリアン・ボールト盤を買ったが、テンポが遅く、もの足りなかった。
ウィリアム・スタインバーグ盤 |
エイドリアン・ボールト盤 |
先月、念願の「惑星」のコンサートを聴くことができた。
素晴らしい演奏だった。
冒頭の「火星」から胸が高鳴り続け、
「金星」では涙を抑えることができなかった。
「水星」のコケットさに救われ、
「木星」を聴き終えたときは、あまりの高揚に深いため息をついた。
「土星」で重苦しい気分を存分に味わい、
「天王星」では宇宙戦隊のような広大なイメージを描いた。
終楽章の「海王星」では、静かな夢の幻想世界に入り、
最後の女性コーラスが消え去り、会場を沈黙が支配するまで
目も心も涙を流し続けた。
亡くなった映画評論家の荻昌弘は、富田編レコードに解説を寄せ、
最後に以下の言葉で結んでいる。
「・・・ふっと、涙ぐんでしまうのだ。富田勲の、
この目もくらむ創造の軌跡を、ふりかえって。」
まったく同感である。
ホルストの「惑星」は、オーケストラ曲と富田編曲では
まったく異なる音楽である。
そして、どちらにも思い入れが深い。
0 件のコメント:
コメントを投稿