「夜の国」。副題は「心の森羅万象をめぐって」。
著者は、ローレンス・アイズリー。科学史家。
6年近く前、行きつけの古書店で見つけた。
ソローの系譜をつぐナチュラリスト、とのことだが、
名前は知らなかった。
ただ、序文から、語り口がとても魅力的だった。
即、購入を決めた。
出版元が工作舎であることも、即決の訳のひとつだ。
著者は序文で、“黄金の車輪”について触れている。
飛行機を待ちながら、芝生を足でつついていたら、
おもちゃの車輪を掘りあてた、と。
それは、著者が貧しい子供時代に、隣家の焼却炉から
掘り出したものだった。
彼はその黄金色の車輪に惹かれ、宝物となった。
そして彼は、黄金の車輪に乗って逃亡する計画をたてた。
もちろん、逃亡にはおもちゃの車輪を使うのではない。
実際の馬が引くティーワゴンに、御者が気づかないうちに
後ろから乗りこむのだ。
子供の彼が乗ったワゴンの車輪は、陽の光を浴びて黄金色に光る。
“逃亡する”のには、理由がある。
彼は、幼年時代から、意識のなかで“逃亡者”だった。
孤独な独り遊びを繰り返すうちに、“騒音-外の世界-昼の世界”に
耐えがたい思いを抱くようになった。
家庭でも孤独だった。彼は闇になじんだ。
そして、彼はワゴンの踏み板に腰かけて、
大きな世界へはばたこうと決心したのだ。
逃亡はあえなく失敗し、子供の彼は、とぼとぼと家路をたどる。
そして、“逃亡”という負い目と憧れとが、彼の意識に刻まれる。
いまや、“真面目な市民”という保護色を身にまとってはいるが、
彼は、“生まれつきの逃亡者”なのだ。
・・このような文章で始まる「夜の国」は、
それでも静謐なだけのエッセーではなく、
ペーソスやユーモアも交えた編が多い。
「骨の人」と題された章にある、「石の女」は、面白くて繰り返し読んでいる。
化石や骨を求めて、何十もの町と峡谷を歩き回った著者は、
ある田舎の床屋で、「石になっちまった女」が谷にいて、
それを「ブズビー爺さんが誰にも見せねぇんだ」という声をとらえた。
著者は相棒をひとり連れて、風が吹きすさぶブズビーの住居を訪れる。
彼は思いのほかこぎれいで、しゃれた鼻眼鏡をかけ、
通された部屋も居心地がよさそうだ。
著者は、慎重に話題を選び、ついに「素晴らしい化石」の話に触れる。
たちまちブズビーは、はにかみ、緊張した。
「おまえさんたちは“彼女”をつれていきたいんだろう。博物館にな。」
著者は、迷うブズビーを説得する。
ブズビーも、“石化した女”を見せたい気持ちがあるのだ。
一晩キャンプをした著者たちに、ブズビーは案内の決心を告げる。
かれらは、風が吹き降りる峡谷を、何度も上がり下がりしながら進む。
ブズビーは狂ったように先を行き、終盤、著者たちを引き離す。
そして、彼はとうとう、峡谷の壁にあいたくぼみの前で立ち止まった。
「これがそうにちがいない。」著者たちは歩を進めた。
“・・もちろん、それはただの岩だった。奇妙な形をした鉱物のかたまり。
私はただ立ちすくみ、見つめるだけだった。
「どうです、きれいでしょう、そう思いませんか」・・”
そう。孤独なブズビーが作りあげた神話。
“この病は進行性だ。あと一年もすれば、
石の女が返事をするようになるだろう。”
著者は思う。
そして著者は、“石の女”を、「信じがたい保存状態」ともちあげ、
「われわれの博物館にぜひいただけませんか」と提案する。
「絶対に手放さないって」と信じながら。
ところが、ブズビーは自分を強く抑えて、言った。
「先生のおっしゃるとおりです。私はわがままでした。
彼女はあなたと一緒に行った方が安全です」
・・二日後、トラックに載せた“石の女”を、
著者はいやいやながら、大峡谷から投げ落とす。
「本当に後味が悪いんだ」と言いながら・・。
味のある一編だ。
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