2015年6月28日日曜日

静かで熱い決意(松本竣介)

何年も前に行った展覧会で、大きな絵を観た。

若者が、殺風景な街路に立っている。
その人物は、画面を圧するほど大きい。
黒い国民服が、白く曇った空に映える。
どこか哀しげな表情だが、口元は締まっていて、
立ち姿全体に決意が見える。

制作は戦時中だと理解したが、そのときは、
画家の自己顕示欲が強いのだ、くらいに思い、やり過ごした。

しばらくたって、その画家は松本竣介であること、36歳で夭折したこと、
そして、心に残る絵を何枚も残したことや、雑誌の編集をしたことなどを知った。
13歳で聴覚を失ったが、まったくそれを感じさせることがない。
絵画も文筆も、豊かな知性を感じさせ、感性はモダンそのものだ。

若いころから、しっかりした線で構成される建物や人物を描いた。
それらの絵も好きだが、特に惹かれるのは、
街の風景をコラージュした、一連の作品だ。

「街」(1938年)
「序説」(1939年)
これらは、沈んだ青や赤を基調として、市井に生きる人々の生活感を
味わい深く、またノスタルジックに描いている。
東京という都会を描写したので、ほとんどの人物は洋装で、
コンクリートの建物が必ず描かれているのも、モダニズムを感じさせる。

また、清新さを感じさせる、風景や建物の絵が何枚かある。
それらに使われている緑や青は、深く澄んでいて、本当に美しい。

「郊外」(1937年)
「白い建物」(1941年)

ただ、松本竣介の絵は、色調を抑え、沈んだ色合いのものが多い。
街の景色は一様に静かで、透徹した画面である。
これらは、深く心に残る。

「Y市の橋」(1943年)

「並木道」(1943年)

彼は、聴覚障害で招集は免れたものの、疎開をせず、
しだいに戦火が迫る東京にとどまった。
妻と子をもち、生活者の目線で、しかも世俗に堕することなく
困難な時代に、意欲的に創作を続けた。

昭和16年には、美術雑誌に掲載された、
文化統制を是とする軍人たちの座談会記事に反論して、
「生きてゐる画家」という文章を同じ雑誌に掲載した。
まったく見事な決意表明だ。

戦後は、溶鉱炉のなかのような赤色を背景に、
戦火に焼けた景色や、太い線で立体的に構成された人物などを描いた。
それらの赤は、敗戦の鎮魂を表わす色であるとともに、
新たな前進の決意のようにも受け取れる。
彼の常に変化し続ける姿勢に、心打たれる。

「神田付近」(1946~47年頃)

「ニコライ堂付近」(1947年頃)

また、松本竣介は、昭和11年から12年にかけて、
「雑記帳」という雑誌を編集し、14号まで発刊した。

自由な時代ではないため、制作の苦労がしのばれるが、
それよりも、彼がこの雑誌に込めた、
文化の発展にかける意思を強く感じる。

2年前、古書店で「雑記帳」の復刻本を10冊買った。

寄稿者を見れば、今や著名人となった作家や画家が多い。
20代なかばで、これらの原稿やカットを、よくも集めたものだと思う。
彼の人脈が、ものを言ったに違いない。
それだけ彼は、スマートで多才で、魅力的な人物だったのだ。

「雑記帳」復刻本10冊






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