2015年8月9日日曜日

哲学と暴怒の間の幻影(駒井哲郎)

駒井哲郎は、版画界ではメジャーな存在だろう。
ただ、僕が気になり始めたのは、ここ数年のことだ。

以前、フランス絵画の展覧会に行った際に、
別の部屋に、駒井作品がずらりと並べられていたことがある。
そのときは、モノクロームの暗い絵ばかりだという印象だけが残った。

その後、古書店などで彼の画集を観るうちに、
「束の間の幻影」に代表されるような宇宙的な広がりをもった絵が好きになってきた。

「束の間の幻影」(1951年)

また、同じ年に制作された「地下室」も、孤独な詩情を湛え惹かれる。

「地下室(ヴィラ・メイズの地下部屋)」(1951年)

駒井は、もの静かな長身の貴公子然とした風貌だったが、
いったん酒が入ると深く泥酔して、知人宅へ台風のように来襲しては
悪態を吐き、くだを巻いたという。

彼の作品も、静かな幻想を感じさせるものだけでなく、
荒れ狂う怒りをたたきつけたような絵もある。
これらを観ると荒涼とした気持ちになるが、ぐっと眼をとらえて離さないものがある。

「暗い絵」(1968年)

「作者の肖像」(1968年)

駒井哲郎は、もともとエッチングから始め、さまざまな銅版画の技法を経て、
56歳という早い晩年には、エッチングに戻っていった。
樹木やビンなどの静物を何度も描いているが、
そこには哲学的な趣きや、象徴的な意図が感じられる。

「樹木」(1958年)
「影」(1971年)

駒井作品は多様で、いろいろな観方、楽しみ方があると思う。
これからじっくりと、自分のなかに取り込んでいきたい。

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最後に、気に行っている自作のメゾチント版画を挙げる。
高校の美術の授業で制作したもので、エッチングとメゾチントを技法として選ぶ際に
迷わず後者にした。暗いなかに灯の光を描きたかったからだ。
当時、とても愉しんで描き、刷ったあとに彫り直す手直しもした。
駒井作品と並べるのは誠に気が引けるが、銅版画の面白さに目覚めた記念として。

無題(1980年)





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