これも20年ほど前のこと。古書店で1冊の本を買った。
高田衛著「江戸の悪霊祓い師」。
前半は、累が淵の伝承を忠実に記した「死霊解脱物語聞書」を
読者と共に読み解くスタイルになっている。
“累が淵”。
子供のころ、四谷怪談より怖い話がある、それが累が淵だと母に教えられた。
そして大人になってから、映画でも怪談落語でもなく、
この本で、実録としての無類の怖さと面白さを知り、惹き込まれた。
累が淵の伝承を以下に記す。
寛文12年(1672年)、正月四日。
下総国羽生村の百姓金五郎の妻、菊が患い付く。
菊は、数え14歳。現代でいえば、小学校を出たくらいの歳である。
菊の父は与右衛門。
菊の母は、菊の結婚(前年12月)に先立つ4か月前に亡くなっている。
正月二十三日、菊の病状は俄かに異常化し、彼女は七転八倒する。
与右衛門、金五郎は「菊よ、菊よ」と呼び返すに、
ややありて菊は息を吹き返し、与右衛門をはたとにらみ、
「我は菊にあらず、汝の妻の累なり。廿六年前、よくも責め殺しけるぞや。」
つまり、26年前に、与右衛門は妻の累を鬼怒川の淵で殺し、
その霊が菊にとり憑いたのである。
また累は、与右衛門が迎えた妻を6人を、次々ととり殺したとされる。
菊の母が6人目である。
累は、顔かたち、あまつさえ心ばえも類なき悪女であったという。
彼女は、与右衛門により、またそれを黙認したムラにより、抹殺された。
与右衛門の出家にも菊の憑依は落ちなかったが、
村人総出の祈祷で二度までも霊は菊から離れた。
ところが、菊の三度目の憑依に、村の名主は驚き呆れ、遂に高僧の祐天を招く。
祐天は六人の衆僧と共に必死で念仏を唱えるが、累はとり憑いたまま。
ついに祐天は、天に雄叫びをあげ、阿弥陀仏をなじり奇蹟を請い、
菊にも力づくで念仏を唱えさせる。さしもの霊も、これで退散する。
除霊成功の嬉しさに、祐天は昂奮して眠れないほどであった。
ところが、ひと月余がたち、菊の身体に死霊が四度目の再来をした。
このたびの憑依は凄まじく、菊は「宙にもみあげ顛倒し、五体も赤く熱悩して、
眼の玉も抜け出し」と、オカルト映画の一場面のようである。
それを聞いた祐天は呆然とする。が、強い意志で霊と対峙し、
遂にそれが、今までの累の霊ではなく、今は去る61年前に、
累の母に殺された助という童子の霊だと判明する。
助は、累の成仏をみて「裏山しく思ひ」来たのだという。
祐天は、童子の霊の哀切な運命を思い、成仏を遂げさせる・・。
この「江戸の悪霊祓い師」は、その後、祐天聖人その人の謎に迫っていくが、
僕には、畳みかけるような「累」の因果話がスリリングで、何より面白かった。
面白かった理由は、もととなる文献が実録であり、誇張はあるにせよ
実際にあった事柄を再現していることにある。
そして、この説話の弁士である高田衛氏の巧みな語り口に、感銘を受けた。
実録スタイルをとる怪異譚や怪事件の話は多くあるが、
僕の原点は、子供のころに読んだ幽霊話、
それに、中学1年のときの槍ヶ岳山荘で
身体をくっつけて隣に寝ていた当時の若い山男に、
槍ヶ岳の伝説話の本を借りて読んだことだろう。
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