2015年8月1日土曜日

スリリングな伝承奇譚 「江戸の悪霊祓い師」

これも20年ほど前のこと。古書店で1冊の本を買った。
高田衛著「江戸の悪霊祓い師」。
前半は、累が淵の伝承を忠実に記した「死霊解脱物語聞書」を
読者と共に読み解くスタイルになっている。

“累が淵”。
子供のころ、四谷怪談より怖い話がある、それが累が淵だと母に教えられた。
そして大人になってから、映画でも怪談落語でもなく、
この本で、実録としての無類の怖さと面白さを知り、惹き込まれた。

累が淵の伝承を以下に記す。

寛文12年(1672年)、正月四日。
下総国羽生村の百姓金五郎の妻、菊が患い付く。
菊は、数え14歳。現代でいえば、小学校を出たくらいの歳である。

菊の父は与右衛門。
菊の母は、菊の結婚(前年12月)に先立つ4か月前に亡くなっている。

正月二十三日、菊の病状は俄かに異常化し、彼女は七転八倒する。
与右衛門、金五郎は「菊よ、菊よ」と呼び返すに、
ややありて菊は息を吹き返し、与右衛門をはたとにらみ、
「我は菊にあらず、汝の妻の累なり。廿六年前、よくも責め殺しけるぞや。」

つまり、26年前に、与右衛門は妻の累を鬼怒川の淵で殺し、
その霊が菊にとり憑いたのである。
また累は、与右衛門が迎えた妻を6人を、次々ととり殺したとされる。
菊の母が6人目である。

累は、顔かたち、あまつさえ心ばえも類なき悪女であったという。
彼女は、与右衛門により、またそれを黙認したムラにより、抹殺された。

与右衛門の出家にも菊の憑依は落ちなかったが、
村人総出の祈祷で二度までも霊は菊から離れた。
ところが、菊の三度目の憑依に、村の名主は驚き呆れ、遂に高僧の祐天を招く。
祐天は六人の衆僧と共に必死で念仏を唱えるが、累はとり憑いたまま。

ついに祐天は、天に雄叫びをあげ、阿弥陀仏をなじり奇蹟を請い、
菊にも力づくで念仏を唱えさせる。さしもの霊も、これで退散する。
除霊成功の嬉しさに、祐天は昂奮して眠れないほどであった。

ところが、ひと月余がたち、菊の身体に死霊が四度目の再来をした。
このたびの憑依は凄まじく、菊は「宙にもみあげ顛倒し、五体も赤く熱悩して、
眼の玉も抜け出し」と、オカルト映画の一場面のようである。

それを聞いた祐天は呆然とする。が、強い意志で霊と対峙し、
遂にそれが、今までの累の霊ではなく、今は去る61年前に、
累の母に殺された助という童子の霊だと判明する。
助は、累の成仏をみて「裏山しく思ひ」来たのだという。
祐天は、童子の霊の哀切な運命を思い、成仏を遂げさせる・・。

この「江戸の悪霊祓い師」は、その後、祐天聖人その人の謎に迫っていくが、
僕には、畳みかけるような「累」の因果話がスリリングで、何より面白かった。

面白かった理由は、もととなる文献が実録であり、誇張はあるにせよ
実際にあった事柄を再現していることにある。
そして、この説話の弁士である高田衛氏の巧みな語り口に、感銘を受けた。



実録スタイルをとる怪異譚や怪事件の話は多くあるが、
僕の原点は、子供のころに読んだ幽霊話、
それに、中学1年のときの槍ヶ岳山荘で
身体をくっつけて隣に寝ていた当時の若い山男に、
槍ヶ岳の伝説話の本を借りて読んだことだろう。

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