2015年5月10日日曜日

生涯ベストワンの映画 「赤い靴」(4)

今回は、服装に焦点を当てる。
主役のヴィッキーの装いが、本当に素敵だ。
バレエシーン以外を順に挙げる。

冒頭のコンサート会場。
ゆったりした濃紺地のガウンで、襟と袖に白い幅広のレースを飾る。
王冠とネックレスは多くの真珠があしらわれている。


パーティー会場での、黒いカクテルドレス。
胸元と足元の裾は、クリーム色のレースが施されている。
真珠のネックレスは、昼間のコンサートと同じもの。


コヴェントガーデンの市場で、明るい茶色のかっちりしたスカートスーツ。
羽飾りのある帽子も、大ぶりのバッグも、同系色で統一し、
襟元はサラダグリーンのスカーフ。
このオーソドックスかつ魅力的な装いは、ほんの少ししか映らないが、
市場の人混みのなか、しなやかに歩くヴィッキーを目の当たりにした
八百屋のおやじに、“What a corker!”と言わしめている。


コヴェントガーデン(劇場)の楽屋口で。
ベルベットのような生地の濃紺(ネイビー・ブルー)のスカートスーツに、
先に登場したサラダグリーンのスカーフを合わせている。
上品で、洗練された感覚。赤い髪が映える。


モンテカルロに着いたとき。
パステルカラーが鮮やかな横縞の半袖シャツと濃紺のパンツ。白いヒール靴。
夜は、紫に近いピンク(オペラモーヴ)のゆったりした上着を着ている。


クリスマス・グリーンでコーディネートされたロングドレス。
王冠はサファイアのように光るガラス。
ネックレスは緑石と真珠のコンビネーションで、全体に色彩が統一されている。


「赤い靴」初演の翌朝。
濃い灰緑(ゴーディ・グリーン)の地に、白い水玉のガウン。
練習着の上に羽織るものだが、さまになっている。


夜のデートの場面。
リバー・ナイル地のサリーのような布を頭から冠って、緩やかに着こなしている。


駅で、ボリスとの決別のとき。
ネイビー地に白い2本のラインが鮮やかなTシャツに、同じ色のパンツ。白いヒール。
シンプルで、きりっとした印象を受ける。


列車内で、ボリスとの再会時。
鮮やかなグリーンのワンピースドレス。腰から下は、灰緑色。
金のブローチとブレスレット。大きな麦わら帽。
体のラインを強調したデザイン。


このように見てくると、ヴィッキーの服は青や緑系の深く落ち着いた色が多い。
原色の赤や黄の服は皆無だ。彼女の赤毛に合わせたものか、
または、当時の流行だったのかもしれないが、それ以上に、
「赤い靴」の原色の赤を、色彩の演出上、目立たせたかったのかもしれない。


ついでに、イリーナの服も。
朝の練習に遅刻。淡いサラダグリーンのワンピース。
スカートを翻して軽やかに歩くさまは格好よい。


パリで別れるときの、ベージュのスーツに幅広の黒い帽子、金のチョーカー。


おまけで、ボリスの服装についても触れる。
彼は役柄上、ほとんどがスーツ姿だが、2つの場面でそれ以外の装いをしている。

ひとつ目は、優雅な朝食のシーン。イングリッシュ・アイビーのガウン。
ジュリアンに言うべきことを言ったのち、
煙草を手にしながらラスクを紅茶によく浸し、
“Good morning”と会見を切り上げ、ラスクを口に放り込む粋。


二つ目は、Sunset Villaのシーン。
黒いアンダーシャツの上に、鮮やかなスカイブルーの半袖シャツをラフに着て、
赤く長いスカーフ、白いズボン、サンダルという組合せ。
(つづく)

2015年5月2日土曜日

生涯ベストワンの映画 「赤い靴」(3)

この映画は、音楽が素敵だ。
なかでも、バレエ「赤い靴」の、そしてこの映画自体の重要な場面で、
何度か使われるモチーフがいい。

最初は、ジュリアンがボリスの自宅を訪ねるシーン。
ボリスに促され、ジュリアンが自作のピアノ練習曲を弾く。
それが、このモチーフだ。ボリスは、ディミトリの給仕で朝食を続ける。
彼は無頓着の様子だったが、「火の心」とこの一曲により、
ジュリアンはバレエ団に採用される。


次は、バレエ「赤い靴」の練習が佳境に入り、
ボリスの指示により、ヴィッキーの昼食時にも、
ジュリアンがバレエの音楽をピアノで奏でるシーン。
げんなりしたヴィッキーに、
“一番消化にいいフレーズ(the most digestible part of the score)”
としてジュリアンが弾くのが、このモチーフ。
映画の観客は、このフレーズが「赤い靴」で採用されたことを知ると共に、
舞踏会のシーンで使われることも予告される。


なお、上記のランチのシーンは、ヴィッキーとジュリアンの、
ダンサーと作曲家・指揮者とのリラックスした葛藤を描く一方、
闘いの場における同士のような関係も表現し、
恋愛への発展も暗示している重要な場面である。

3回目は、バレエの開演後、「赤い靴」の序曲。
初演の緊張が高まり、ダンサーたちやラトフまでが混乱するさなか、
何かが始まる高まりと不安を表すように、
オーケストラがこの旋律をダイナミックに奏でる。


そして、「赤い靴」の舞踏会のシーン。
荒々しく恐ろしい“死の街”のシーンが終わり、
遥か高みから聴こえるような、高貴な旋律に代わる。
少女は、いつの間にか金色の光に包まれた舞踏会場にいて、
恋人を迎えて共に踊るシーンに、まさにこのモチーフが使われる。
ここでは、今までの集大成のように、
この旋律がゆったりと情感を込めて、オーケストラにより歌われる。


壮麗な序奏が終わり、この旋律が始まるときに、
指揮台にいたジュリアンが指揮をしながらヴィッキーに歩み寄っていく。
それを迎えるヴィッキー。
次にこのモチーフが使われる恋人たちのシーンを暗示している。


最後にこのモチーフが使わるのは、恋人たちが月夜に地中海のほとりを馬車で巡るシーン。
ホルンが静かにゆっくりと歌い始め、ついで木管が、そしてオーケストラが続き、
あくまで抑えて、夢のなかのように演奏する。

このシーンの最後のジュリアンの科白。
“自分が年老いたときに、若く可愛い娘に聞かれたい。
「あなたの長い人生のなかで、どこにいたときが一番幸せでしたか」と。
僕は云う。「地中海のほとり、ヴィクトリア・ペイジと一緒だったときだ。」”
ジュリアンは、自分が年老いたとき、ヴィッキーがそばにいないことを
予感していた。ラストにつながる、運命的なシーンだ。

(つづく)

2015年4月26日日曜日

生涯ベストワンの映画 「赤い靴」(2)

冒頭のクレジットタイトルの音楽は、
このドラマが始まるに相応しい、不思議な激しさをもつ曲。
否応なしに気持ちが高ぶり、一気にこの世界へ引き込まれる。
画家ハイン・ヘクロスが担当したイラストは、映画の鮮やかさとは異なり、
美しい色彩ながら、宗教的で、もの哀しい雰囲気があり、心に残る。


「火の心」序曲。ティンパニのリズムを皮切りに、荘重な音楽が鳴り響く。
金と銀の並んだトランペット。迫りくる運命を感じ、不安な気持ちを掻き立てる。
楽団の譜面が黄、白抜きのEXITの文字は青白く浮かぶ。
グリシャがカーテン越しに客席を覗く、そのカーテンのラメが青白くきらめく。
鮮やかなカットである。


大好きなシーンがある。
レルモントフ・バレエ団がパリを経て、モンテカルロに着いた。
ヴィッキーの運命は廻り始める。
ボリス・レルモントフの指示で、オテル・ド・パリに宿泊することになったヴィッキー。
彼からの誘いの手紙が大写しになる場面が始まりだ。

バックには、祝祭曲のようなオーケストレーションが高鳴る。
一転、ホテルのロビー。白い制服を着たポーターが、迎えの車の到来を告げる。
トランペットの独奏が静かに始まり、鉄琴とオーケストラが合わせ、
喜びを抑えきれないように徐々に盛り上がる。

ヴィッキーが、とびきり素敵なクリスマス・グリーンのロングドレスに、
色を合わせた王冠をいただき、白服3人を前後に従え、入口へ進む。
まさに、王女然とした姿だ。

入口の上がりかまちに立ったヴィッキーに、ポーターが帽子をとって挨拶をする。
椅子に腰かけた用心棒は、余裕でタバコをふかしていたが、オッとばかり身を起こす。
白服3人に見送られ、ポーターに先導されたヴィッキーは、大型車に乗り込む。

車の運転席には、ボリスの忠実な下僕、ドミトリー。
発車を合図に、トランペットは喜びを爆発、チェロの重奏へと連なり、
管や弦が波状的に音程を上げながら盛り上がる。

音楽に合わせて、車は街中を、次いで地中海を見晴らす山中の道を、快調に飛ばす。
車の後部座席の屋根は開放され、眺めは絶景。
はるか崖下の海が見え、そのままトンネルに入る。
再び陽の光のなかに出たヴィッキーは、眩しげな表情であたりを見回す。
このときのヴィッキーの表情は演技ではなく、22歳の娘のそれで、可愛らしく好ましい。

急速にテンポを速めた音楽は、Sunset Villaに着いたなり、高鳴ったままフェードアウトする。
そして次のシーン、主役を言い渡される重要なシーンにつながるのだ。

手紙の大写しから、Sunset Villaに着くまで、およそ1分半。
何か晴れがましいことが始まる予感に満ちた、希望溢れるシーンだ。









Sunset Villaは、ヴィッキーが期待した華やかさとは無縁の、古めかしく、かつ壮麗な館。
その異空間で、彼女はボリスから次の主役を言い渡されるのだ。







そのほかの印象的なシーンをいくつか挙げる。

ヴィッキーとボリス・レルモントフとの、パーティーでの出会い。
ヴィッキーは、この場面で初めて声を出す。
その声も表情も魅力的で、黒いドレス姿は洗練され、素敵だ。

「火の心」のピアノ演奏をバックに、最初はシニカルに、
それから、この映画の真髄に触れる科白がやり取りされる。

B:Why do you want to dance?
V:Why do you want to live?
B:Well,I don't know exactly why,but I must.
V:That is my answer too.

この出会いにより、ヴィッキーはレルモントフバレエ団へ入ることになる。





次も、出会いのシーン。作曲家が運命的なテーマに出会う。
ボリスから、次の仕事として「赤い靴」の表紙を見せられたジュリアンは、
一瞬にして運命の予感とインスピレーションが湧き、我を忘れる。




次は、この映画の悲劇の背景となるシーン。
パリで「ジゼル」のリハーサル時、ボリスはグリシャと、
幕間からボロンスカヤを観ながら、彼女にクビを言い渡す。

B:You cannot have it both ways.The dancer who relies upon the doubtful comforts of human love will never be a great dancer.Never.

科白自体は、まさに断言する内容だが、それを言うボリスは、周りを言い含めるように、
また、自身にも言いきかせるように、そして言いながら改めてそのことに気がついたように、
少し躊躇した不思議な表情をする。A・ウォルブルックの演技が光る。




先に触れた大好きなシーンの手前。
モンテカルロに着いたバレエ団を、支配人ブータンと舞台監督リドゥが出迎える。
ブータンがボロンスカヤの一件を口にした途端、ボリスはヴィッキーに突然話しかけ、
劇場の二人に紹介する。いぶかしげなヴィッキー。
ここの場面で、会話の4人ではなく、カメラは一瞬、グリシャを映す。

彼はひと言も発せず視線は下向き。だが、会話を聴きながら視線を上げ、
不敵な表情を浮かべる。グリシャが、ヴィッキーにプリマを託すボリスの意図を
一瞬にして見抜く表現であり、彼の狂言回しとして役割を明示する場面だ。
そして、グリシャのバレエ「赤い靴」の役どころは、まさに狂言回しである。




ヴィッキーが、「赤い靴」の主役を言い渡されたあと、深夜0時。
興奮で寝付けないヴィッキーと、缶詰で作曲中に息抜きに出たジュリアンが、
バルコニーで話す。

J:I wonder what it feels like to wake up in the morning and find oneself famous.

二人でもたれた欄干の下を、汽車が通過し煙が昇る。ラストシーンの布石である。
二人はすぐ分かれるが、歩き始めたヴィッキーの足元に、新聞紙が風に吹かれてくる。
レルモントフの会見記事と、二人の写真。
先ほどの科白の裏付けと、バレエ「赤い靴」の新聞紙との踊りの布石にもなっている。
このあたりがうまい。



続いて、音楽が途切れることなく、ズラリとならんだ赤い靴から、本番用を選ぶシーン。
ボリスとラトフの性格をステッキで見事に表わしている。
短いが、極めて印象的なシーンだ。

(つづく)



2015年4月19日日曜日

生涯ベストワンの映画 「赤い靴」(1)

「赤い靴」を初めて観たのは、高校生のとき。
地方局のテレビ放映をなんとか受信し、
雨降りの画面のもとで、しかも途中から観た。
それでも印象に残り、「ベン・ハー」、「第三の男」、「ミラノの奇跡」など、
映画館で観た映画に伍して、自分の映画ベストテンに名を連ねた。

その後、おそらく何十回と、この映画を観た。
いまや、生涯ベストワンの映画だ。

「赤い靴」の何がよいのか。

まず、音楽が素晴らしい。すべての音楽に意味があり、印象的である。
それから、映像が美しい。鮮やかな色彩と見事な構図に、ハッとさせられる。
そして、モイラ・シアラーの優雅で軽やかな踊りと演技が、すこぶる魅力的である。
また、バレエの魅力も堪能できる。加えて、それぞれの人物造形がうまい。
さらに、映画の舞台に気品があり、洗練され、かつ夢のような幻想味も混じる。
つまり、映画の愉しさを存分に味わえるのだ。

制作されたのは、第二次大戦後まもない1948年。
こんな素晴らしい才能を集めて映画が創られたことに、身震いがする。
日本で公開されたとき、観客はどんなに驚き、また、この夢の世界にどんなに痺れただろう。
当時、日本ではこの映画を観て、女はバレリーナを目指し、男はプロデューサーを志願したという。




(つづく)

2015年4月11日土曜日

薄暮に流れる光の筋 (レオン・スピリアールト)

14年前の春、郊外の自然公園のなかにある美術館へ
ベルギーの画家5人の作品を集めた展覧会へ行った。
アンソール、マグリット、デルヴォーが目当てだったが、
そこで、別の画家の絵に惹きつけられた。

男が独り、薄暮のなか、シルクハットにオーバーを着て
逆光でシルエットになり、埠頭に立っている。
光源は左手の水辺の街灯で、絵の右半分はコンクリートの橋桁が屹立している。
あたりは静寂。灯の光が濡れた路面を流れて、絵を縦に横切る。
かすかな、にじむような白い光の筋は、
「夜」と名付けられたこの絵の最大の魅力となっている。

男は酔っているのだろうか。
右手を挙げ、左手は胸に置いて、見えぬものに挨拶しているようにみえる。
だが、この絵の主役は男ではない。
あたりを包む静寂であり、孤独であり、暗がりに流れる光だ。

「夜」


画家の名は、レオン・スピリアールト。
ほかの展示物にも、薄闇の海辺に燐光のように街灯や波が光り、
静けさと孤独さを感じる絵がいくつかあった。
暗く青い海の色と光の描き方が魅力的だ。
謎めいた絵、「水浴から戻る人」に、じっと見入った。

ただ、彼の絵はモノクロームに近いものだけではない。
彩色された作品も美しい。
パステルやグワッシュを用いた、鮮やかで装飾的な絵があった。
これらのどちらも好きな絵だ。以来、この画家に気をつけていた。

2年後、今度はスピリアールトの個展が開催された。
知名度が低いと思われるこの画家を、よくぞ取り上げ開催してくれたものだ。


「めまい」
スピリアールトの有名な絵、「めまい」。ひと目見たら忘れられない。
悪夢の一場面のような、恐ろしさを感じる。離れたところからでもよく目立つ。

また、スピリアールトの灯ともいうべき、魅力的な光を描いたものもあった。
「堤防、光の反映」は、墨のぼかしをうまく使い、色鉛筆で淡く彩色している。
雨ににじむ灯火の長い筋。その灯火ひとつひとつが燐光を放ち、川の奥へ連なる。
人の気配はなく寂しい景色だが、郷愁にも似た懐かしさを、この絵に感じる。

「堤防、光の反映」


スピリアールトの彩色画も好きだ。

「美しさ-日の終わり」は、鮮やかなパステルを使い、
白い夕日と、降り注ぐ黄金の光を見事に描き
タイトルにも絵のタッチにも、詩情が感じられる。

「美しさ-日の終わり」

また、後年は、何枚か樹木の絵を描いている。
それらは、樹皮や生い茂る針葉を緻密な線で表わし、
装飾的で、なにか別のものにも見える。
彼が20代のときの薄暮と灯火のテーマとはまったく違うが、
文学書に挿絵を描いたデザイン性は、一貫して感じられる画家だ。

「防火林」


2015年4月4日土曜日

観る者への“たくらみ” (ジェームズ・アンソール)

中学の美術の教科書に、その絵はあった。

10人ほどが集まり、顔をこちらに向けている。
めいめいの表情は不気味のひとことであり、
あたりは不穏な空気に満ちている。

「たくらみ」と題されたその絵は、コローやシャガールなど
詩情豊かな絵が好きだった僕に強烈な印象を与え、
それ以降、このジェームズ・アンソールの絵が大好きになった。

白と黒の帽子の男ふたりを中心に、その右側には、
太った中年女がふたり、毒々しい表情を見せ、
その赤い大きな背中には、赤子が死体のように括りつけられている。

その背後から顔をのぞかせている者たちは
すでに人間ではなく、青ざめた幽霊だったり、天狗だったり、
水木しげる描く化け物のようだったりする。

背後のものたちは異様だが、どこかユーモアがある。
対して、まん中のふたりには、底知れぬ恐ろしさを感じる。

白の飾り帽は、蛇のような毒々しさで不気味に笑みを浮かべ、
黒のシルクハットは、仮面の孔のような目で
心を見透かすように、ひたとこちらを見つめる。

このふたりは地獄の使者であり、たくらみの主だ。

ジェームズ・アンソール「たくらみ」

3年前に、この絵の実物をじっくり観ることができた。
目の前に対峙すると、絵の不敵さがより強く伝わり、
作者アンソールの観る者への仕掛けをも感じられた。

つい最近、この絵の解説を読んだ。
シルクハットの方は被害者で、その左にいるのは
男をだまそうとしている女だという。
確かに白い帽子は男と腕を組み、誘うようでもあるし、
中年女たちも男にいいがかりをつけているようにもみえる。

だが、シルクハットの男は、実はたくらみの首謀者で、
この画面にいる者たちはみな、この絵を見ている観客に
何ごとか諮ろうとしているとみる方が、面白いと思う。

・ ・ ・

ジェームズ・アンソールの絵は、何かを象徴しているように見える。
ただ、そこに何か意味を求めるのではなく、
仮面劇や映画の一場面を切り取ったような奇妙なテーマで、
観る者の心を動かす絵だと理解すればいいのだと思う。

ファブリ世界名画集のアンソールの巻にあった下の絵は、
きわめて演劇的だと思う。

「腹を立てた仮面」

また、同じ画集にあった下の絵は、
フランス映画「天井桟敷の人々」のラストの群衆シーンを思い浮かべる。
このシーンでは、群衆は祭の化粧を施し、また仮面をつけていた。
マルセル・カルネは、もしかするとこの絵に触発されたのかもしれない。

「キリストのブリュッセル入城」

・ ・ ・

後年、僕は、ベルギーの幻想画家たち、デルヴォー、マグリット、
スピリアールト、クノップフなどが好きになる。
また、20代で仮面の収集に熱中した。

ローティーンでのジェームズ・アンソールとの出会いは、
確実にその後の嗜好に影響を与えたと思う。